2011年 01月 02日

一生懸命と本気

年頭のご挨拶に、今度の東京公演に出演するみなさんにご挨拶のメールを送りました。
当たり前の言葉で、今更ながらの「一生懸命」と「本気」を使いましたが、ここで改めて辞書を引かれる方は、まず、いないと思いますので、ちょっと、書いておこうかなぁ、と、思います。
国語の先生なら良くご存知のことと思いますが、「一生懸命」はもともと「一所懸命」から起こった言葉と言われています。比較してどっちが正しいと言うようなことはもうないような程、両方とも親しみのある言葉ですね。でも、「一所懸命」はその字の通り「一所」=「領地」を命懸けで守ることを示す言葉なので、場所や立場やものを死守するさいに使用する方が気持的にしっくりします。一方、「一生懸命」は何をするのでもともかく、命懸けであれば「一生懸命」として使って差し支えない訳です。
さて、これを踏まえて、あえて「一生懸命」を極々当たり前に使ってみました。本当は「一所懸命」を使ってみたい気持もあったのですが、この点については「その心は・・・」、お読みになったみなさんが「整え」て頂くのが宜しいかと存じます。
次に、「本気」ですが、これは本気以外の説明のしようがない言葉です。まあ、「真面目な気持」と言う説明がありますが「真面目」を辞書で引くと「本気であること」となります。
そんな訳で、辞書で引いて「本気」となる言葉が最初にありました。「真面目」「ぞっこん」「等閑」です。最後の等閑は「本気ではない」という意味です。
さて、「真面目」ですが、。元々はしきりに瞬きをする様をさしていた言葉だそうですが、これには「誠意のある」と言う意味が込められています。「等閑」は「誠意のない様子」と言うことが直ぐに浮かびますね。これは両方とも「様」から「心」を判断して指し示している言葉です。行動や様子から人の心が読み取れるとする考え方が基礎にあります。従って、そもそもの行動や様子が「本気」と受け取れないようなことでは、問題外、と言うことです。
さて、「ぞっこん」はおおまかの説によると「心底」に由来するようです。「心底より申します」と言う言い方が昔にはあった様で、「ウソ偽りのないことを言う」と言う意味と「私の言うことをきいて下さい」という意味があったのではないかと思われます。これは先の二つの例とは異なり自分の心を基に本気であることを指し示している言葉だと私は理解しました。
本気であることには、行動や様から読み取れる面と自身の心の底から顕われるという面と二つの意義があるのですが、両方とも大事なことだと思います。
私自身がそうでなくてはならないことなので、あまり人のことをとやかく言っては申し訳ないのですが、どうしても、そうであって欲しいなと思ってしまう方が見受けられる。と、言うか、人は時々そうなってしまう。私自身がそうなってしまう時がある。
でも、そう言うときはきっと、こんなブログは読まないのでしょうね。
難しいですね。
当たり前の言葉に、これだけの意味があるのは書いている私自身驚いてしまうのですが、「全て」ではないのですが「つきつめて」物事を考えることは意義のあることです。
音楽もそうです。
一つの曲もそうだと思います。
「これ」は「こうだ」と強く主張するためには、それなりの説得力を持たなければならない。
思い付きや一時の感性だけでは、どうにもならない。
ショスタコーヴィッチだってリヒャルトだって、丸山先生だってみなさんそうです。
だから、やる方も、一生懸命、本気で演奏しなきゃいけないのです。
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by bassbassbassyy | 2011-01-02 22:01 | 音楽


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