2011年 03月 12日

松本公演

20日に予定している松本公演について。
本日時点では開催予定と致します。

大規模な災厄が生じた後の、演奏会等の催しは、被災された方への配慮は当然あって然るべき。
しかし、配慮=自粛と言うのは少々短絡に過ぎるように思う。
戦争中、「歌舞音曲」と全部ひっくるめて官憲に揚げられてしまった時代とは違う。
また、平成になった時に何でもかんでも自粛となったのともわけが違う。

話しはそれるが、私が、団のみなさんにメールで送ったり、ここに記したりしている事柄、テクニカルなことから心情においてまで全てについて、「精神論」をぶった覚えは一切ない。僅かな方に山崎の「精神論」には不快を覚えると言うようなご指摘を受けた。どうやら「精神論」の意味を知らないで使っているらしい。ふざけた話しである。

でも、今日は「精神論」として記したい。
遺憾ながらも、松本公演は時期的に追悼であり激励である演奏会になる。
地震から生じた一連の災厄のせいだから、全く持って遺憾である。
しかし、追悼と激励は人として当然の心情ではないか。
ならば、遺憾等とはせずに誠心誠意追悼し激励するのが音泉としてのあるべき姿であると考える。
このような成り行きもまた、音楽に対して正直であるべき道筋ではないかと思うのだ。
そして、追悼であり激励であるならば、いつの演奏会にもまして真摯であるべきと考える。
演奏自体はいつもと同じ様に音楽に集中すれば良いのだが、そこに無なる境地を付け足したい。
音楽か無か、ではなくて音楽と無である。
そうして音楽を捧げたい。
災厄に遭われた人々、そうした人々を救うために頑張っている人々、何か手助けをしたいと考えている人々、立ち上がろうとしている人々、そして、既に何も感じることの出来なくなった人々と、その人々と繋がっている全ての人々へ。

このような心情をみんなに無理強いして物理的限界を超えようとすることが「精神論」である。
「精神論」が何であるかも知らずに言葉遊びをするような人間は必要ない。
今度の松本公演ではこの「精神論」で行くのだ。
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by bassbassbassyy | 2011-03-12 22:19 | 音楽


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