音泉室内合奏団の食卓

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2011年 03月 16日

確信

 前回、松本公演の開催を強く宣言しました。
これは、覚悟のためです。
確信ではなく、覚悟です。
「行動が思想を決定するのだ」とのセリフ、記憶にある方はまだまだ多いと思います。
何と心細く、気弱な言葉だろうか。こんな言葉に酔わなくては起こせなかった行動とは何であろうか、と思います。
今日、団内から「何故開催するのか?」「止めた方が良い」との意見が届きました。
開催するぞ、との号令下、みんなが苦労して準備を進めている最中で、それを知りながらこれを言うことはとても勇気のいることだったと思います。
そして、その意見を聴けて、とてもほっとしている自分がいます。
多分、出演するみなさんが多かれ少なかれ持っている気持であり、意見だと思います。
さらには、日本中の大多数の方が、同じ立場にあれば、そのように思い、考えるだろうと思います。
これは、とても大事なことです。

今、被災地では、食料、衣料、燃料、薬剤等、あらゆるものが不足していて、少しでも手に入れたいとの思いは、生死に関わるところから発せられています。あらゆる援助を待ちわびている。
直接的な援助の手段を持たない我々に出来る最良のことは、物資の消費を節約し、公共の施設設備を必要最低限以外利用せずに、余力として社会に蓄えさせることです。これが、巡り巡って被災地への援助の厚みとなる。電気を節約する、病気にならないように細心の注意を払う、事故を起こさない。こうした少しの努力を集めることで、被災地で電球1個を灯すことになったり、医師を一人派遣出来るようになったり、消防士を一人、救援に携われるようになったりするのです。

なのに、何故、燃料と時間と労力とその他諸々を使い、周囲の人に時に迷惑をかけ、助けてもらいながら長野で演奏会を開催するのか。
本当にそんなことをする必要があるのか。
こんな時に開催しても、お客さんも来ないし、反感を買うだけではないのか。

私は演奏会を開催する理由として正当性のある説明が出来ません。
正しいか間違っているか、わからない。少なくとも正しいときちんと説明することは出来ない。
でも、必要と言うことならば、必要だと言える。
多くの方に無駄と思われることをして、正しくないと思われるかも知れないことをして、しかし、これは必要だと言うことが出来る。
私自身は非力で何も出来ないような人間です。一人で楽器を弾いても誰かが聴いてくれるような美しいメロディーは奏でることが出来ません。そもそも、その為の楽器ではないし、そうした楽器をそこまで高める技術も持ち合わせていません。何人かに集まってもらって初めて音楽として聴いて貰えそうな曲の一部分を受け持つことが出来ます。いつも誰かと一緒にやることでしか音楽を作れない。音楽の中で、共にあろうとする積極的な意識と姿勢が互いに出会うことでしか、何かを伝えられない。
でも、いつもそこにあるのは拙くても素晴らしい音楽です。
聴いてくれた人がお世辞ではなく、楽しんだり、ほっとしたり、悲しくなったりする音楽です。
音泉にはそれが出来る。
そうしたことが、世界に必要ではない時があるとは思えない。
全ての人に必要かどうかはわからないけれど、多くの人に必要なはずだと言うことはわかっている。
今は尚更必要だと言える。日本中が怯え、緊張している。
だから、やれることをやろうとするならば、慎ましく生活することも大事だし、それはやれるし、するのだけれど、けれども、その前に、それと同じくらい、大切なこととして、音泉として演奏をすることだと思う。
それは、同じようなことが出来る人々もいるとは思うけれども、音泉でなければ出来ないことに違いないのだ。

当たり前のことを、中から、きちんと言って貰えて、私は恵まれた代表だと思う。
そして音泉は充分に多くの迷いと躊躇の中で健全だと言える。
このブログをご覧になった出演者は、少しは確信に近づけたであろうか?
私は、おかげで、演奏会前に確信が得られた。
みなさん、しっかりやりましょう。
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by bassbassbassyy | 2011-03-16 23:09 | 音楽


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