音泉室内合奏団の食卓

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2009年 09月 02日

ブラームスはお好きですか?(6)

さて、先にSNS上ででかおさんにご紹介頂いた、ブラームスのエピソード。「ブラームス回想録集①~③」(2008:音楽の友社)読みました。これはお勧めです。ブラームスを身近に感じたいなら6,000円出して買って損はないです。でかおさんのご紹介通り、気難しくて不機嫌で、人を寄せ付けないブラームスのイメージが一転します。これを読んで、私はブラームスの時代背景とその作品との間にある「そぐわないもの」の殆ど(全てではないですよ)が解消されました。003.gif

ブラームスは音楽で何を語っているのか?
これにも、大きく関係しますので、みなさんどうぞ読んでみて下さい。
さて、結論からいいます。

「ブラームスは音楽で、音楽を語っている、もしくは主張している。」

なんか、簡単過ぎる言い回しで真実みがないですね。不思議なことにこういうことは色々な評論家の先生方が仰る様に難しい言い回しをしないと、本当ではないような気になってしまう。

「ブラームスは音楽でのみ語れる事柄を表現している。」

こうすると、文章的に「?」があって、少しは本当っぽいかも。

ベートーヴェンは人間の栄光と人類の平和を音楽に託しました。ベルリオーズは人間の内なる不条理を交響曲にしました。多くの作曲家が、自分の思いや考えを音楽に託しました。ブラームスは自分の音楽そのものを音楽に託した、と思います。これは、「音楽のための音楽」と言ってしまえば同じであるはずのハイドンやモーツアルトの音楽の在り様とは異なります。ハイドンやモーツアルトの音楽は、実用音楽でした。決められた空間で、決められたお客に対して、最高の満足度を達成するのが目的です。もちろん、自分のためにも作曲しているわけですから、音楽の意味としてそれが全てではありませんが。ブラームスの場合はロマン派全盛の時代にあって、世間的に言われる思想信条、場合によっては実用性すら省みず、ただ音楽のために音楽を考えたのではないかと思うのです。どちらかと言うと、バッハの世俗音楽と言われている分類の曲に似ているかもしれません。
ただし、ブラームスの場合、ロマン派と言われる音楽を背景にこれを考えなければならないのでとてもややこしい。

例えば、先のベルリオーズですが、彼自身がアヘンを吸ってか、または、綿密に練ったか、は知りませんが、ともかく殺人の計画を立てた経験を、架空の男の見た夢の話として音楽にした、と言っています。多分、半分は本当でも、半分はウソです。ミニチュアスコアを買うと高名な学者先生の解説がついているので読んでみて下さい。私はスコアを何処かになくしてしまった。確かに夢らしい不条理な話ではありますが、一連の文脈があり具体性に富んでいます。あんな夢、見る人いますかねぇ。ロマン派文学の中ではありそうですけど、私の周りで見そうなのはひろささんくらいでしょうか。
着想の基となったのは夢でも、それを敷衍する別の話があって、それと分かるところは秘匿しながらストーリーを組み立てた、と言うのが本当のところだと思います。これは、当時のフランスロマン派文学の有り様と深い関係がありますな。
まあ、何にせよそうして曲を書いたわけですが、あの交響曲の全てがベルリオーズの考えたストーリーに合致しているわけではありません。そこにも必ず音楽のための音楽が入っていると思います。固定楽想の手法を採用しているのは音楽のための手段ですね。
誰でもそうですが、何か良いアイディアを思いつくとそれを実現したくてたまらなくなる。作曲家は何かを表すために音楽を考える時もあるでしょうが、具体的な目的もなく、ふと思いついてしまうアイディアもあるはずです。むしろ、そうしたものの方が多いかも知れません。こうしたアイディアは使わずにおれない。なんだかんだ理由をくっつけて曲にしてしまうこともあるでしょう。だから多くの作曲家が楽譜帳を持って歩いた。ふっと、湧いたアイディアを書き留めるためです。そして何年も暖める。そして機会が来たときに作品に織り込むのです。

こうしたアイディアは作曲家の生活そのものです。具体性はないかも知れないけれど作曲家が生きる中での様々がエッセンスのように凝縮してその中に入っています。もちろん思想信条が入ることもありますし、散歩の途中で見かけた乞食の女の子のことが入っているかも知れない。神への思いや、戦争や病気や、ともかく色々です。ですから、個々のディティールとその曲に託された思想信条とは、実は関係がないこともしばしばなのです。しかし、単にそれだけでは、何故そのアイディアをそこに持ってきたのかの理由が分かりません。そこにそれを持ってくるのもまた、作曲家の価値観であり、思想信条であり、センスなのです。なんか取り留めのないような話ですが、実は私たちも日常的に同じ事をやっています。人に何か抽象的なことを伝えなければならないとき、「例えばね、」で始まる文脈をよく用いますが、これは同じことです。基となる考えがきちんとしていして、「例」の選択にセンスがあれば、話の内容が相手に伝わるばかりでなく、自分の人となりまで相手につたわります。でも、「例えばね」で始まる話そのものは、そのとき相手に伝えるために蓄えていたわけではないのです。
そんな訳で、どんな曲であれ、その曲のもつ意味合いとは、実は関係のない音楽のための音楽が含まれているわけです。
ちょっと、話しが脇へ言ってしまいました。
ここらで、一区切りしておきましょう。
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by bassbassbassyy | 2009-09-02 01:02 | 音楽


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