2009年 09月 09日
ブラームスの場合は、音楽に託す思想信条等が同時代の他の作曲家と異なりました。特に交響曲については、各曲に対する音楽以外の固定観念を聴衆に持たせまいとする努力すら感じられます。ブラームスは散文的に思いついて貯めておいたアイディアを文学的な関係性を絶って一つの音楽とするために、交響曲の構成に対する特別なアイディアについても考えねばなりませんでした。または、文学的連関を断って思いついてしまった構成に関するアイディアを具現化しなければならなかった、ともいえます。その基になるのは、日常的なブラームスの思考規範であり行動規範であったと思います。 ブラームスの日常の生活態度は先に紹介した「回想録集」に詳しいですので、是非、読んでみて下さい。とても面白いです。しかし、彼の日常の別の側面。つまり、ブラームスを取り巻いていた社会状況はどんなものだったか。これを知っていないと、折角の書簡集も充分に読み取れないところが沢山になってしまいます。 今から見ると、それは「歴史」の領域の話しです。しかし、例えば私にとっての20年前、昭和天皇が崩御し、カラヤンが他界し、天安門事件が起き、チャウシェスク政権が崩壊し、本人が銃殺された年であると思い起こせる様に、ブラームスにとっての例えば第4交響曲を書いた20年前の1865年、「トリスタンとイゾルデ」やシューベルトの「未完成交響曲」が初演されたり、独逸・デンマーク戦争の処理が行われたり、リンカーンが暗殺されたりと言ったことは、充分記憶に残っていることに違いないのです。そして、ブラームスの頃のヨーロッパの社会状況はまさに「激動」の名に値する時代でした。 私たちは、音楽愛好家としてクラシック音楽と接していながら、その作品が生まれた時代的、社会的背景にあまり目を向けていません。バッハやハイドンを演奏する時にそれがとても重要なこととは確かに思いにくいですね。でも、ロマン派の音楽はそう言うわけにはいかないことが多いと思います。歴史的、社会的認識(どんな認識であるかは個人のものですが)を持っておかないと、この時代の後に起きた多大な幸福と災厄に対する責任を、実は、私たちも背負っていると言うことがわからないまま、つまり連綿とした時の流れの中で「繋がっている」という実感を充分に持てないまま楽曲に取り組むことになります。これは「空洞的」な音楽と言われるの最も基本的な立場となります。 とは言え、ここで十分な歴史の講義は、私の能力と時間と労力からして出来ませんので、ドイツ中心の歴史から大まかなことだけトピックと簡単な解説として後日記載しますね。ブラームスがいかに激動の時代に生きていたのかが分かると思います。 すると、6000円出して買った「ブラームス回想録」集もより面白くなりました。 ちょと、得した気分になりましたよ。
by bassbassbassyy
| 2009-09-09 03:03
| 音楽
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