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2014年 05月 06日

エルガー

3日の弦楽器有志による音泉東京事務所大自主練大会(大袈裟)の中で意識された事柄を幾つか綴ってみたいと思います。

まずは、エルガーです。序奏の部分はテンポが揺れます。そんなにわかりにくくはないのですが、油断をするとズレちゃいます。基本はアレグレットとモデラートの2つですが、ポコやモルトのストリンジェント、アチェレランド、アテンポ、また、早さとは異なりますが、ラルガメンテ、ピュウモッソなど早さにまつわる雰囲気も変化します。
車と同じで、音楽も急には止まれません。アレグロからアンダンテに変化するところでは、アンダンテの直前からブレーキをかけないとならないので、小節線を越える前に充分に様子を伺う必要があります。
ゆっくりだったテンポを元に戻す時も「そこから」ではなく、「その前」で準備呼吸があります。
ストリンジェントやアチェレランドのように早くなる時、リタルダンドのように遅くなる時は、その記号のところからみんな一緒にアクセルやブレーキを踏み始めます。この違いは私は、楽譜に何か書いておかないとごちゃごちゃになってしまいます。
また、音の強弱も、事前に全体を見てみると、フォルテシシモからピアニシシシモ(?)まであるので、その部分、部分での音量の相対性も考えつつ、全体の中での音量の絶対性にも配慮しないと、終わる前に死んでしまいます。さらに、アレグロでは1小節の中でピアニシモからフォルテまたピアニシモと、短い間に大きな変化がありますので、しっかりと表現できないといけませんね。
練習番号9番の後半から10番は何でもないのに少しわかりにくくなっています。音程に気を付けて、周囲を聴きながら、しっかりと各自が各自の役割を果たさないと、他の楽器がどうして良いかわからなくなります。10番の2小節前のチェロ・バスは大きすぎてはいけませんが、スラーの中でふにゃふにゃにならず、縦線のわかるように弾く必要があります。他のみなさんはこのチェロバスが聴ける様でなくてはなりません。
練習番号10番からはアクセント、スタッカート、テヌートと音のかたちが異なる16部音符が連なっているので、しっかりと弾き分ける必要がありますね。小節番号12番の4小節前から2小節はヴァイオリンの方にはお気の毒です。人数がいないのでキツいとは思いますが、これが貧弱だとお話にならないので、覚悟してしっかりと弾いて下さい。入りの喰いつきに気をつけるのはもちろんですが、終わりの音にはもっと気を付けて下さい。
12番はコントラバスには悪夢です。入る前の16部音符の下降形にはテヌートがついていますが、音が低くなるにつれ貧弱にならないようにしっかり弾く必要があります。
8分音符もアクセント・テヌートで音を丸くしないようにしっかり弾くとともに、決して遅くならないように頑張らねばなりません。高弦の奏でるメロディーも、ともに高貴で輝かしい響きになるようにしましょう。
14番の3小節前、ともすると低弦と高弦の息が合わなくなるので一拍1拍をお互いに意識しながら14番の高みに登って行きましょう。高弦の方は休符前の8分音符の2つ目の音が短めに終わる傾向があるようですね。15番の3小節前のPはしっかりと音量を落しましょう。
フーガは、まあ、頑張りましょう。
セカンドでは3小節目の3拍目の裏、ファーストでは5小節目の3拍目の裏、チェロ・バスでは7小節目の3拍目の裏はいずれも印刷でアップから入るような指示がありますが、これはダウンで入ります。18番の1小節前のヴァイオリン・ヴィオラの8分音符、その後のチェロ・バスの同じ8分音符の下り基調のアクセントは全てダウンです。
再現部があって、30番からフィナーレですが、このフォルテシモを大きく入り過ぎると、終わりまでもたないので、ちょっと考えましょう。やたらと大きいよりも、伸びやかに、広々とした感じで音が出せると良いかも知れません。
本当のクライマックスは32番の4小節前にありますので、力を取っておきましょう。
32番からは「軽さ」を意識して、派手なアクセルはかけませんが、全体で「前」へ持って行きましょう。
このために、是非とも32番のピアノはしっかりと音量を絞って下さい。

さて、次はベートヴェンだが、面倒くさくなって来たぞ。
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by bassbassbassyy | 2014-05-06 14:37 | 音楽
2013年 01月 01日

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

と、挨拶してみたものの、実は年末年始の気分がまるでない。
今年はとても久しぶりに31日、1日と続けての休暇で、実家に帰って過ごしたのだが、正月気分がまるでない。
そんなわけで、音泉の今年のお題目も考えていない。
今年は管楽器の年である。これは予定通り。
では、管楽器を中心に据えて我々は何をテーマに頑張るべきか?

あまり良く考えていない適当な状態で言うのも何だが、今年は「宇宙」かな、などと思ったりする。

「宇宙兄弟」がブームになっているし?

私が思っているのは「宇宙兄弟」とはあまり関係がない。
どちらかと言うと昨年観測されたかも知れない「ヒッグス粒子」の方が関係がある。
「宇宙物理学」は理論としてもの凄く発達して来た。「宇宙」は物理学の理論によって説明されて来ている。このことに因縁を付けるつもりは全くないが、その方向に於いて日夜様々な努力を重ねている方々が、どうしても「ちょっと、へんかも」との思いを隠せなくなって来ているような時点に達しつつあるような気がする。婉曲な表現になってしまうのは、物理学による世界観を理解する能力が私にはまるでないからなのだが、素人向けの「サルでもわかる」みたいなものを読んでみると、これはちょっと変かも、と思わずにはいられないのだ。
理由は単純で宇宙を語る物理学が記述だからだ。
物理学全般で言えば、観測を伴う研究が沢山あるのだろうが、大きい世界と小さな世界に関する物理学は「観測」という立地そのものを充分に考察しなければならない地点に来ている。「観測」とは哲学の問題なのだ。
私たちには心強いことに物理学の大先生がおられる。実践的な研究に携わっておられる団員もいる。酒を酌み交わしながら1年かけて、色々とお話を伺いつつ、自分の宇宙を想像してみるのも良いかも知れないと思っている。
宇宙は勿論、みんなのものでみんなが共通して理解出来る言葉で説明されるのが良いことだとは思うが、その説明が哲学の領域に入るならば我々は一人ひとりの宇宙をきちんと想像しなければならない時期に差し掛かっているということでもある。かつて「私たちの地球は・・・」と仰った方(故人)は「宇宙を研究するということは、宇宙を通して私たち自身を研究することだ。」と宣われた。
真意はともかく、なかなか素敵な言葉である。
そして、なにより音楽は宇宙と同じなのだ。

と言うわけで今年のお題は「宇宙」で、如何でしょう?
これがまた、このブログ、殆ど書いてないから、読まれないし、反応ないし。やれやれ。
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by bassbassbassyy | 2013-01-01 23:50 | 音楽
2012年 10月 09日

東京公演合宿第1号

東京公演に向けた一回目の合宿が終わりました。
なかなか、充実した合宿でしたし、朧げながら、どの方向に向かって演奏すべきかが見えて来たような気がします。
今年度、音泉が基本としている姿勢は、弦楽器を中心としたプログラム、です。
「?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、大方の弦楽器の方はご納得頂けているかと思います。「グレート」にはオーケストラに於ける弦楽器群の役割が如実に示されていますね。先のプログラムにあったベートヴェンの「7重奏曲」は管楽器と弦楽器のアンサンブルの中で弦楽器の役割を明確に位置付けており、この基礎の発展形があらゆるオーケストラ作品に繋がっています。そんなわけで、今年度の音泉は実践的にオーケストラにおける弦楽器の役割を知るプログラムとなりました。セレナーデやアダージョもその一役であり、弦楽器群としての可能性や性能を知るためには非常に良いプログラムになっています。

さて、今回の合宿では、監督より「音程」の課題が提示されました。
これまでの音泉で、今回程明確に「音程」が課題として提示されたことはありません。「音程」の課題とはいかなる課題と捉えるべきでしょう?
単純なところで言えば「チューニング・メーター」を相手に練習することで大分解決に近付きます。これに属する方法としては、指板に印を付けるとか、弦の方に印を付けるとかの方法があります。これでは近似値に近付くのが「せいぜい」なのですが、それでも蔑ろに出来ない、とても大事なことです。
ご存知と思いますが、3音以上のオクターブ以外の和音において、個々の音程に「正しい音程」と言えるものはありません。3つ以上の異なる音程のを同時に鳴らすと必ず不協和音が生じます。この不協和音を、あくまで「聴こえ」の範疇で、如何にその時々の和音の役割に沿った響きに仕立てるかが私たちの課題です。響きと言うからには音程によって生じる和音も大事なのですが、同時に異なる楽器が出すそれぞれの音色の役割もとても大事です。そして、音量の問題も絡んできます。
音程の問題を取り上げると、このように様々な問題が芋づる式に連なってきてしまう。アマチュアの我々には手に負えない問題と考えてしまいます。だからこそ、出来ることとしての「チューニング・メーター」が大事なのです。
でも、音泉はそこから一歩踏み出したい。

音程の問題が面倒なのは、これが人間の品性に関わる問題でもあるからです。
何故かを言うと、長くてややこしくなるので省きますが、音程の問題は、その音を出す人の勇気と、真理を探究する心と、潔さと、強調性に深くかかわるからです。これらは「正義」の問題にも近い。実に厄介です。そして、このような問題を簡単に「精神論」と決めつけて蔑ろにする人もいる。これは論理の問題なんですけど、ちゃんと考えることをしないで愚かしい決めつけをする。
私たちは勇気と、真理と、潔さと、強調性を持って、今度の東京公演に臨むことに致しましょう。音泉はここで一歩踏み出したいのです。
勇気と、真理と、潔さと、強調性を発揮する上で大切なのは周りを聴き、自分を知ること、音楽を知っておくことです。
その中で音程を確かなもにしようとすれば、どれだけの勇気が必要か、どれほどの真理探究心が必要か、且つ、それらに固執せず、強い協調性の基に、潔さを持って自らを捨てられるか、仲間と強調出来るか、これらが試されていることがわかります。
合奏中の1人弾きで音程のことをガミガミ言われると、だんだん出す音が貧弱になって、酷いとトゥッティーになっても音が出せなくなることを経験した人は少なくないのでは。これは、そもそも音楽をやる上で必要な勇気とか潔さとかについて、きちんと考えて来なかったためです。そもそも勇気や潔さがないから、では多分ないでしょう。持っていても発揮出来ないのです。音楽にそんなものが必要だと思っても見なかったからです。
監督の音程に関する指摘を良く思い出して下さい。音程は、ともすると、そもそもそこにあるものだったり、与えられるものだったりと考えられ勝ちですが、実はその一瞬一瞬に皆で作り上げているものです。言い回しの問題もあって必ずしも、そのように聴こえない場合もあったとは思いますが、監督の指摘は、私たち一人ひとりが音程を作り出していることを示していたかに思えます。個々の意図によって生じるものが音程であれば、和音は我々のものです。
一瞬一瞬にどのような音を出すか。気の遠くなるような事柄ですが、音泉のみなさんなら必ずより良く出来る。まずは長い音、短くても抜きん出ている音から始めましょう。どのような音程で、どのような音色で、どのような音量で、どのようなアタックで、どのような音の終わりで、本当に果てしない課題ですが、監督に指摘された音や、楽譜から抜きん出て来る音から始めて見ましょう。この努力は必ずお客様の耳に届く努力です。
では、諦めずに頑張りましょう。次回の合宿でより良い音楽を見出せるように。

もっとも、私の最優先課題は練習中に眠くならないように、疲れを合宿前にとることです。やれやれ。
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by bassbassbassyy | 2012-10-09 22:02 | 音楽
2012年 01月 03日

明けましておめでとうございます

年が明けた。
辛い年となった昨年を踏まえて、これからの一年を見通すならば、今年は昨年に増して辛い年となることを自覚せねばならない年である。
ただし、辛さの内容が全く異なる。
この辛さは、そこにあるとわかっていて、きちんと考えれば乗り越えられる筈のものだし、乗り越えねばならないものである。そして来年、再来年と希望を先に繋げることの出来る類いの辛さである。
いまさら、書く程のことではない筈だが、書かざるを得なかった。

さて、東京公演の月である。
音楽は一曲を区切りとしているが、演奏会は演奏会である。
いつでもそうなのだが、特に今回の東京公演は、一曲目が全てである。
二曲目も、三曲目も全てである。
「ああ、中プロは良かったね」と思われただけではダメなのだ。
前プロから最後まで「ああ、良いな」と思ってもらわねばならない。
気が付いてくれている出演者もいるとは思うが、
この公演でそれが出来ないようならば、今の音泉を続ける意味はあまりない。
何方かが違うと仰るかもしれないが、今回の東京公演で、前プロからしっかり出来ないようならば、私たちは音楽の楽しみを自ら体現していないし、ましてご来場のお客様に伝えること等、決して出来ない、と私は考えている。
思い返して頂ければわかるが、20回記念から始まった大浴場は、この東京公演で1つの区切りを迎え、それは自ずと音泉にとっての公演とは何かと言うことを突きつけているのだ。
そうなるようにやってきた。
だから、出演されるみなさんには是非とも真剣に魔笛を、コンチェルトを、交響曲を、どうしたら音楽としてみんなで喜びとなるように出来るかを考え、体現しようと努力して欲しい。
とは言え、頭でっかちになる必要はない。
やるべきこと、押さえるべきところ押さえたら、あとは客席を巻き込んで盛大にノリまくるのだ。
弾きたくて弾きたくて、吹きたくて吹きたくて、叩きたくて叩きたくてしょうがない自分たちを上手に抜かりなく一曲目から解放しよう。
それに、私たちにはまだ3回も練習日が残されている。
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by bassbassbassyy | 2012-01-03 21:53 | 音楽
2011年 10月 30日

ら・まるみった

La Marmittaのセカンドコンサートに縁あって出演させて頂きました。
皆様、お疲れ様でした。
最初はガチガチでしたが、後半は食べ物、飲み物、某I君の迷(名)アナウンスもあって寛いだ、和やかな演奏会になりました。飲み食い交えての演奏は良いですね。大らかな気分で時間を楽しめます。
出演者も全体として良い時間をお客さんと過ごすことが出来る。音楽の色々な側面の中でも、もっとも楽しい側面の一つであると思います。とても楽しめました。

 ジャズのステージでは飲み食いを伴うステージが一般的で、音楽ホールでのステージはあまりない。
世紀のインタープレーセッション・レコードとなったビル・エヴァンス・トリオの1961年6月25日のヴィレッジ・ヴァンガードでのステージ。お客は熱中して飲み食いもほどほどだったらしい。もっとも、お客が熱中していたのはステージの演奏ではなく、競馬だか野球だかのラジオ中継だった、との落ちがある。
 昔(50〜70年くらいか?)のジャズプレイヤーには薬漬けになったり、アルコール中毒になったり、自殺したり、と言う方が結構おられて、色々と考えさせられることが多いが、ともかく音楽に身を投じた結果、紆余曲折の結果、破滅を招くことになってしまう。それだけ音楽に入れ込んでいて、中には客のことなんかどうでも良いくらいに「音楽」『音楽』とのめり込んでしまう人もいた。でも、大方は自分がハッピーになれて、聴いている人もハッピーになれるセッションを目指していたと思う。
 先のビル・エヴァンス・トリオのように、もの凄いセッションをしていながら気のない拍手しか得られないライヴは不幸な例の一つであるが、飲み食いを伴う音楽はこうしたことに出会う可能性も高い。命懸けのプレーをしているジャズ奏者のステージが実はお客が音楽に集中出来ない空間であるところが、これまた音楽の面白いところでもある。そんなステージには音楽を聴きに行くのではなく、酒を飲みに行く、食事をしに行く、そういう客が集うのである。

さて、「ら・まるみった」でも宣伝して頂いたが、音泉の東京公演が近づいている。
第2回合宿も3週間後である。
ら・まるみったのお客さんは幸いにして、飲み物目的でもなく、食べ物目的でもなく、ラジオ放送に気をとられることもなく、暖かい気持で音楽を聴いて下さった。善意のお客さんたちである。あの場に集ったあのお客さんたちだから良い演奏会となった。何に喜んでもらうことが大切なのか、ちいと目的が紛らわしい音楽会であったが、それでも楽しんで下さったお客様に、まずは感謝である。
音泉の演奏会は、音楽を聴きにきて下さるお客さんがいらっしゃる。アマチュアの演奏会に来て下さるのだから相当に善意のお客さんと言える。だが、ら・まるみったのお客さん程の善意を期待してはいけない。音泉のお客さんには、全員で取組む音楽でしかお返しが出来ないのだから、私たちはお客さんの目的にも適うような演奏をしなくてはならない。

それにしても、ピアノの譜めくりという役は大変に緊張するものでありました。良い経験をしました。あまりの緊張をほぐすため、中休みにワインを飲んだら、思いのほか空腹に効いてしまい酔っぱらってしまった。後半最初の曲は当日チェロの譜面を見てやることにしたのだが、おかげで余計な事をせずにシンプルに音を拾って、脱力して演奏出来て良かった。練習よりもしっくりした演奏になりました。ピアソラはぐっと集中出来た。アルコールの力は偉大なり。酔っぱらってしまったのは誤算であり、申し訳ないことであったが、結果は良かったかも。

お客様の次には、一緒に演奏したみなさんに感謝。慣れないソロをとったり、カルテットをやったり、その他準備やら受付やら何やら、本当にお疲れ様でした。

久々に楽譜の揃わないステージで、短い期間にベースの譜面作ったり、譜めくりしたり、自分にもご苦労様でした。
さて、昼寝をしよう。
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by bassbassbassyy | 2011-10-30 14:07 | 音楽
2011年 10月 19日

第2回合宿

東京公演に向けた2回目の合宿まで、あと1ヶ月になりました。
来週には団員へ出席の確認、と言う手筈になります。
今シーズン、東京公演のための合宿においては私が細かい手配を行います。
1回目の合宿は、まあまあ上手くいきました。
2回目も上手くいくと良いのですが。

さて、古典プログラムの東京公演。
合宿に参加された方はお気付きのことと思いますが、監督の指示が少々細かくなっています。
音程に対してもアンサンブルに対してもシビアになりました。
でも、音楽を考えれば音楽の機微に求められる事柄は無限に細分化で来ますし、細分化するだけでなく全体をどう捉えるか、楽章をどう捉えるか、各主題、各フレーズ、連結部の関係をどう捉えるかという、少し大きくした見方も大事な問題になります。音程やアンサンブルのシビアさは、監督に求められる、求められないに関係なく正しくなくてはいけません。
目指すべきものは何ら変わらず、私たちが努力すべき事柄も何ら変わっていません。
これまでも気持のある方は、そのまま、これまで通り+より一層の努力をしましょう。
気持が萎えている方は、奮起して頑張りましょう。
気持が散逸しつつある方は、まずは自分がそういう状態にあることに早く気付くべきです。
私たちは音楽の楽しみを真ん中に考えていますが、音楽だけでなく、団員同士の付き合いや懇談、宴会、演奏会を成し遂げるプロセスにも楽しみがあります。そうした音楽の「周辺」的な事柄もとても大事なことですが、まずは音楽が大事である気持がないと、「周辺」的な事柄の大切さも楽しみも、本当は半減してしまいます。
そして、まだ見ぬ「お客様」も大切な共有者です。
「周辺」的な事柄の楽しみに酔ってしまうのは、仕事や家庭の日常から解放されての楽しみもあって致し方ないことではあると思いますが、まだ、ここにはいない「お客様」も最後は共に貴重な空間・時間の共有者となることを忘れて、酔っているのはよろしくない。
あの人、この人と聴きにきて頂きたい人を思い浮かべ、見知らぬ多くの方に聴きにきて頂き、充実した空間、時間を共有する「夢」を大切にしたいと考える今日この頃です。
まあ、大勢ご入場頂ける=赤字が減る、との穿った見方もありますが。
ともかく、第2回合宿まであと1ヶ月です。
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by bassbassbassyy | 2011-10-19 00:48 | 音楽
2011年 09月 10日

音符考

斎藤秀雄さんが「子供のための音楽教室」時代にK.136の冒頭を子供達のオケに何回もやり直しさせた、というお話を折につけ小澤征爾さんが仰っておられることは、ご存知の方も多いと思う。

全音符と8分音符。

何しろ「恐い」斎藤先生が無言で何回もやり直しをさせる。
きっと、恐かっただろうな、と、思う。

でも、「恐い」先生が前におられると言うことは幸いである。
自ら気が付かねばならないことがあるから、言葉では言い尽くせぬ、伝わらぬ、意味が薄れる、ことがあるから、気が付くまで繰り返されるのである。

我々はわからぬまま、気が付かぬまま、通り過ぎる。
気付く人と気付かぬ人が出るから、なお悪い。

繰り返しになるが、モーツアルトとハイドンとベートーヴェンの全音符や8分音符の有り様は同じように弾けなくてはならないが、作曲者によって、その曲によって、その曲のどこかの部位によって、一つとして同じ意味にはならない。つまり、同じに弾いてはならない。

聴く人が異なった感触を持って聴けるように演奏することは、ほとんどテクニカルな問題であって、演奏者の単なる気の持ち様だけに置き換えることは大分端折っているところがあると言わざるを得ない。気の持ち様は当然あって、その上でテクニカルに弾き分ける必要がある。

そんなことが出来るのだろうか?

やる前から出来ぬと判じてしまえば、それで終わりである。
恐い先生がいるも、いないも同じになる。

それで良いのか。

そんな考えならば、私はどこに足を向けても寝ることが出来る。
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by bassbassbassyy | 2011-09-10 00:08 | 音楽
2011年 08月 27日

かためること

態勢を固める、などと言う。
何故、そのようなことが必要になるのか?
新しい事態に対応するためであるが、緩んでしまった姿勢を、改めて整える時に「固める」と言う。
事態が変わらなくても変わっても、こういうことは必要になる。

音泉は今度の東京公演で、ベートーヴェンのピアノコンチェルトを演奏する。ソリストは団員として、何やかにやとお世話して頂いている岩波佳代子さん。
私は彼女のベートーヴェンが聴きたい。
それが聴けて私たちのベートーヴェンが出来るのだと思っている。
伴奏をしているつもりになっていたり、合わせてもらっていることに甘んじているようなベートーヴェンはやりたくない。
そして、ハイドンとモーツアルト。
今まで、大変なプログラムは沢山組んできたが、こんなに厳しいプログラムを組んだことはない。

しかし、音泉にとってこれは新しい事態ではない。音楽を前にして新しい事態と言うものはない。
厳しいならば、厳しいものをそのまま受けて立つしかない。
願わくば、音泉の全員が、出来ても出来なくても、まずは正面からこれに向かうことである。
音楽からは逃げたり誤摩化したりは出来ないのだから。
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by bassbassbassyy | 2011-08-27 23:28 | 音楽
2011年 06月 05日

保守

世の中には色々な考え方がある。
音泉のブログで政治談義をするつもりはないので、例えとして取り上げたと言う範疇で、読んで頂きたい。

先週の内閣不信任決議騒動は騒動であって政治ではない。
政治には騒動がつきもので、時には騒動から新しい道筋が生じる事を狙って行われることはある。
しかし、震災対応に全力で取組まなければならないこの時期にそのようなことをするのは不謹慎を通り越している。政治家として法治国家の運営を預かる者がすべき事ではない。
でも、どうしてもそうしなければならないのなら、これは致し方ない。
そうと信じた者は政治生命を賭して全力で当たるべきである。そして、事態の混乱のないよう、しっかりとした道筋(退陣後の体制を構築しつつ、失政を示し、認めさせ、不信任案を提出、可決、解散ではなく内閣総辞職させて、間髪置かずに次の体制を整える)を示して、これを行うべきである。
と、言うのが私の持論。今回のは失政すらきちんと指摘出来ていない。
でも、これはどうやら少数意見らしい。
まずは、「首相退陣」ありき。これがどうやら世の中の奔流らしい。
ネット上の情報や、マスメディアによると。

私は、世の中の考えとしてそう言う考え方が多数であってもあまり困らない。
不快ではあるけれど(この「不快」にはあまり意味がない)。
特に問題ということではないが、これまでの、そして今後の音泉の方向性と言うのは、世の中の奔流とは別のところを流れている、と言う事は言える。
方向性だけでなく、運営の仕方もである。
私たちは、上に掲げた私なりの政治の道理と同じ道理を用いて、今度の小海や東京公演のプログラムを考えたと思っている。それはこれまでの音泉の活動に繋がっており、今後の活動へと繋がっていくものである。
私たちは自粛傾向の強い、震災一週間後に、自らの意思で、予定通り公演を開催した。
その公演で生じた事、判明した事、理解した事、色々な「事」を積み重ねた結果として、次のステップへと踏み出している。
伝統的で斬新なハイドンへの道である。斬新で瑞々しいベートーヴェンへの道である。
伝統的で斬新で瑞々しい信濃舞への道である。
後ろがあって、前がある。
前があって、後ろがある。
当たり前だと思っていたのだが、どうも最近は当たり前ではないらしい。
その、当たり前ではない考え方(もの凄く斬新で私には理解出来ない)でも良いので、少しでも早く、確実に震災への対応を進められるよう、日本と言う国としての力と、日本人と言う人としての力が発揮出来るように、では、私たちはどうすれば良いのか?
私は、これまで通り後ろがあって前があるやり方で頑張る。
そうではない人とも頑張る。

これは非常に保守的な考え方だ。
たまたま、世の中の動きがこのようになって、あからさまになったが、今度の音泉のハイドンはそもそも、後ろがあって前があるから演奏する事にしたのだ。

あからさま、ってのは少々こそばゆい。
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by bassbassbassyy | 2011-06-05 23:54 | 音楽
2011年 05月 18日

ハイドン

ハイドンを演奏する。
毎度のことながら、大変な覚悟が必要である。
そして、毎度のことながら、いつも、覚悟が足りないと感じて終わる。
音符の一つ一つをどのようにしても弾けるつもりになれるくらいの練習が出来れば、この覚悟に近づけることはわかっている。それでいて、きちんと楽譜を弾くことが出来るようになっている。
自分がきちんと楽器に向き合っていて、それで、みんなと一緒にやれて、心の底から、なんの蟠りも生じることなく、音楽の喜びに直に結びついている。

ある意味、ハイドンはテクニックである。
他のいかなる作曲家の作品に比べてもテクニカルであることが重要だ。
質が悪いことに、テクニカルにかかる命題も含めた上でのテクニカルなのだ。
我々はテクニカルの本質を理解していない。
まずこの点において、日曜演奏家たる我々にとっては試練となる楽曲である。
我々にとってのテクニカルとは「弾ける」ということである。
でも、殊更にハイドンは、それでは駄目なのだ。
「弾ける」と言うことでさえないくらいに弾けなくてはならない。
日常的に、当たり前に、普通に。
だから、当たり前の解決策として、ともかく練習するのである。
例えばメトロノームで。
メトロノームがいらなくなるくらい、メトロノームで練習をする。

でも、なかなか、そんなには出来ない。
頭を使わないと、出来ないでおわり。
頭を使っても、出来ないことが多い。
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by bassbassbassyy | 2011-05-18 22:42 | 音楽