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2009年 08月 26日

ブラームスはお好きですか?(5)

「投稿がない!」と大人気もなく騒ぎ立てたら結構、色々なお話を頂きました。やってみるものだ。003.gif
(今日は大いにまじめなので、ここから先は字を大きくしたり絵を入れたりしません。自分がわからなくなっちゃうからね。)

みなさんからのお話を伺って、ブラームスには人それぞれ、様々な思いがあることがわかりました。
そんな中で、何となく共通した思いは、「難しい」というものでした。それと同時に「来ない!」感覚ですね。
3番の第1楽章の第1主題で「胸が張り裂けそうになる」ゆーすけさんみたいな方もいらっしゃいますが、ベートーヴェンやチャイコフスキーやマーラーのように心に直に届くものが少ないという感じが、「良い音楽なんだけどなぁ」と言う感じと相まって、「難しい」と言う言葉を生んだのだと思います。
このことは、ブラームスに限らず、今日的な音楽の在り様に対する示唆ではないかと、私は思いました。
音楽が王侯貴族の物で、教養の一部であった古典時代とは違い、今日の音楽は、「頭」(教養)と分離した、「心」で聞かれている一つの査証でしょう。

ブラームスの時代は今日同様、音楽が大衆のものになって定着していました。しかし、啓蒙と革命の時代を過ごした後の民衆は産業の担い手である中産階級と、産業の被使役者である労働者階級に分割され、経済力とともに、教養が階級を二分する一つの指標でした。音楽が対象とする大衆はこの両者を含みますが、音楽の担い手の一人である作曲家は中産階級の援助なくしては(経済的に)成立しなかったと言う現状があったので、無教養な大衆に訴えるサウンドの力とともに前時代以上に教養に訴える哲学的な意味を持たなくては十分に受け入れられなかったようです。つまり、当時、音楽は頭と心で聴かれていたわけです。
ここで言う哲学的な意味とは文脈的(含む:反文脈的)な意味と形式のことです。哲学的な意味については何となくわかると思いますが、形式が何故ここで出てくるのか?(形式とは、例のソナタ形式とかロンド形式のことです。)

今日的にはあまり感じることはありませんが、形式と思考様式(意味を考える方法=哲学のこと)とは密接な関係があります。特にドイツ観念論(さらに、その中でも取り分けカント、ヘーゲルの弁証法)はシュトルム・ウント・ドラングを通じて文学に浸透し、ハイドン以降の音楽形式の考え方に思考様式の類似性(例えばソナタ形式は弁証法的に説明が出来る、と言うこと)が見られます。形式自体は思想の歴史より古くからあったのですが、文学の古典主義からロマン主義へ至る経緯で音楽に如実に影響を及ぼしたようです。

そして、心情に訴える力(=サウンドの力)と哲学的な意味とを結びつけるのが構築性です。この構築性は古典派の最後の代表と言われるベートーヴェンが具体的な方法でもって具現化しています。ロマン派の音楽とはこの哲学的な意味を無裁量に拡大解釈し、具現化された構築性の手法を最大限利用し、さらに磨きをかけ、殆ど崩壊の淵にまで発展させて、拡大した哲学的な意味に見合うようにした音楽とも言えますね。ともかく、そうしたわけでロマン派の音楽は様々な思想信条を備え、それに見合うサウンド力を持った作品群となりました。今日、これらの作品を聞くとき、主に教養の部分が担っていた哲学的な意味について上手く聴き取れなくても、サウンド力は私たちの心に強く訴える力を持っています。今日的な我々の音楽の聴き方は、このサウンドの力に重きを置いたものと言えますね。相対的に意味の方はどんどん顧みられなくなって来ているようです。

そうしたときに、今日、ブラームスの音楽が「来ない」と言うことについては、ごく単純に考えると次のことが言えると思います。
①哲学的意味合いが薄いために、強いサウンド力を持っていない。
②哲学的意味合いは深くあるのだが、強いサウンド力は備えていなかった。
③哲学的意味合いは深くあり、それに見合うサウンド力も備えているが構築性に問題があるため「来ない!」

我々は「難しい」と感じており、且つ、主題や和声にも魅力を感じているのだから③が最も正確に言い当てているようですね。
この「問題」をさらに幾つかの可能性として考えてみると、次のように言えると思います。

イ:ブラームスの作曲技法に問題があり構築性を持つことが出来なかった。
ロ:ブラームスの作曲技法には問題なく構築性が発揮されているが、演奏がそれを表現出来なかった。
ハ:ブラームスの作曲技法には問題なく構築性が発揮されており、演奏もよく表現出来ているが私たちがそれを聴き取れなかった。

これは明らかにロとハが最適と言えるでしょう。

今日において、ブラームスの音楽は、深い意味を持ち、それに見合う強いサウンドの力を持ちながら、構築性の表現が困難なため、または聴衆の理解力が低いために、「心」に響きにくい。

(かなり無理強いだけど)一つの結論を得ましたね。

では、次に私たちの演奏について考えて見ましょう。ここまで分かっていれば、そんなに難しい話ではありません。
私たちが4番の交響曲を演奏する上で大切になるのは、第一に構築性です。
構築性を表現するには、この楽曲に付されている意味を理解し、サウンドの力を充分に発揮する必要があります。
優先順位を付けるならば、「構築性」、「サウンドの力」、「意味」となりますが、構築性自体がサウンドの力と楽曲に付されている意味に依拠している訳ですから、3つは等しく大切だと言うことになりますね。
「なんだ、他の曲でも同じじゃないか!」と思っている、あなた(私も)。そりゃ、そうなんだけれど、今まで自分がオケで演奏する上で、どれだけこの3つを大切にして来たでしょう?
特に「構築性」のために何か出来たでしょうか?
少なくとも、私はそんなに考えていなかったなぁ。
でも、ブラームスを演奏して、お客さんと何かを共有したいと思ったら、これ、大事です(パクリ)。
自分と同じく、煮え切らない感想をお客さんに抱かせるのは、どんなもんでしょうかね?
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by bassbassbassyy | 2009-08-26 02:01 | 音楽
2009年 08月 17日

ブラームスはお好きですか?(4)

投稿が!少ない。007.gif
まあ、そうだろうな、とは思ってますけど、少な過ぎる!021.gif

怒っても、しょうがないので(怒っちゃいないけど)、続きを書く前に、監督が投稿して下さった事柄について、ちと、解説というか、折角なので詳しく書きましょう。017.gif

前々から言ってますが、わたしたちは何かを考える時に言葉で考えています。今日の晩ご飯は何にしよう?トンカツが良いかな? とか、みんな言葉で考えています。音楽を考えるときも言葉で考えてる。

汐じゃなかった塩味を強くしようか、味噌味にしようか、と想像して料理するのと同じように、暗い感じで奏でようか、滑らかに吹こうか、この旋律には望郷の念が出ているはずだ、と具体的に言葉で考えて演奏をする。自分自身がタマネギや人参や牛肉になって、ただ良い素材であろうとしても駄目です。

ちゃんと、自分で料理して、その料理を持ち寄る事で宴会になる。その為には、ちゃんと音楽も考えて作っておかなければ駄目よ、と言う事ですね。

さらに、物事は何でもそうだけれど、頭の中で考えた事は言葉にして口に出す、出来れば文章にする、ことで補強される。他の人と語り合う事で補完される。
最終的には楽器で具体的にする訳だけれども、それ以前に自分の意志をはっきりさせる事はとても重要で、「こう弾くのだ」と言う意志もなく、ただ譜面に書いてある記号部分を表層的になぞっていても実は効果的な練習にはなっていない。「こう弾くぞ」と具体的なイメージをもって練習する事で楽器は「音」ではなく「音楽」を奏でることになる。

これをみんなで持ち寄るから、楽しい宴会が出来ると言う訳です。043.gif

 一人で練習する、これは必要な事だし大事なこと。しかし、楽器の基礎的な訓練でさえ、「自分はこう弾く」と言う具体的なイメージを持たなければ、決して音楽には結びつかない。まして、合奏を目指すならば、仲間と音楽について語り合う事は、一緒に練習する事と同じくらい大事なことなのだと言う事なのですね。041.gif
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by bassbassbassyy | 2009-08-17 10:48
2009年 08月 12日

ブラームスはお好きですか?(3)

前回、最初の8小節についてのみ、色々と書きましたが、こんな調子でずっと終わりまで続きます。意味と仕掛けだらけ。それでも1番よりは相当シンプルだと思います。でも、ブラームス自身はそのことを「複雑」とは考えていなかったようです。全体として大きな主張があり、それは起承転結をもって語られている。このことは他の作曲家とて同じで、特別なことではありませんね。あまりに普通です。普通過ぎる。
では、あんなにも沢山の仕掛けをして何を語っているのか?013.gif

まあ、この話題に入る前にブラームスの印象、またはブラームスの曲の印象について、
みなさんがどう感じているか伺ってみたくなりました
どの音符にも意味がある。仕掛けがある。そのことを知っている今、私自身は「感じ」よりも「考える」ことでブラームスを身近なものにしようとしています。
でも、そんな必要があるのか?聴いて感じたままに弾くことも大切なのではないか、とも思えます。
そんな訳で、今回は「感じた」ことを考えて見ました。027.gif

私の場合、ブラームスとの出会いは相当に不幸なものもありますが、同時に忘れ得ない思い出のものもあります。
最初は交響曲4番。この曲は作家のシュトルムとの出会いとほぼ同時期で、相乗効果的にロマンチックでした。まあ、思春期の頃でもありましたのでシュトゥルム・ウント・ドランクを地で行くような感じでしたね。色々ありましたなぁ(遠いい目)。048.gif
次は交響曲の2番。パート譜でした。オケでの体験は散々。でも曲の素晴らしさは感じました。
ほぼ同時に、ピアノ協奏曲2番とドイツ・レクイエムをラジオからエアチェック(古い)してます。この2曲も素晴らしいと感じました。これら4曲は大好きになり、聴きまくりましたね(レコードが白くなり、テープは伸びた)。
そして、暫くしてから交響曲の1番を聴きました。これはちょっとショックでした。
何も感じない。心に響くものがない。
ビックリしちゃった。本当に「なんだこれ?」。第9との関連も全然わからなかった(今でもわからない)。でも、4楽章の有名なアレグロ・ノン・トロッポの前、ホルンの美しい響きには感心しました。
その頃私のお気に入りには、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、シベリウス、ショスタコビッチ、等があり、感動することについても、感心することについてもブラームスの1番は物足りなさを感じました。
それから長いブランクがあり次の出会いは6重奏の1番です。遊びで2番チェロを弾いたのですが、この時は弾けてはいませんでしたが、音楽に感動しました。同じ時にメンデルスゾーンの8重奏もやったのですが、こちらは何とも思いませんでしたね。
ちなみに、この時のことチェロ男さんは覚えておられますか?秋なのにスキー場のゲレンデの中程にあるペンションに集まりましたよね。何やってんだか。041.gif

こんな経緯の中で、私のブラームス観は幼稚な知識と相まってちょっと妙なことになっていました。主にはメランコリックでリリカル。反作用で、狭量な喜び。理想として、心の平和と情熱。ブラームス自身狭量で頑固で意固地で古い人間(相当酷い人ですね)だろうと想像していた時期もあります。今から思うとこれは何だったのかなぁ。015.gif

そこで、ちょっと、じっくり考えて見ました。
これはズバリ「恋」ですね。016.gif016.gif016.gif
「愛」だの「恋」だの、あまりオヤヂの言うことではありませんが、でも、まあ、若い頃の話しなので「恋」です。
いや、他にも「郷愁」とか「哀惜」とか、どちらかと言えば斜陽系の言葉が色々と似合うのですが、ここは一つ、言い切ってしまいましょう。
これは「恋」です。

ちょっとなよっちいの012.gif
でも、案外外れていないかも。「ブラームスはお好きですか?」はフランス人的には、ちょっと大人で複雑な「愛」の話しですが、私からすれば、あれは大人の「恋」の儚さでもある。日本語で「愛」という言葉の広さと深みは感じられない。むしろ「儚さ」に重きがあって、そこには齢と人生が関わっている。「恋」という出来事を軸に「恋」の儚さよりも人生の重みや、もっと広い「愛」の世界への憧憬がある(本当にイングリッド・バーグマンは奇麗だ)。ここに引っ掛かる何かがブラームスに、ブラームスの産んだ旋律に感じ取れるのではないだろうか?
映画「さよならをもう一度」では原題を変えていながら象徴的にブラームスの音楽を使うことで、それをデフォルメしているのではないかな?
サガンは「ブラームス」の名前を引き合いに出して「儚さ」を演出しているのではないかな?とか考えて見たりして。037.gif

みなさんの「ブラームスとの出会い」募集します。
これを読んだ方は短くても良いから投稿してね。034.gif
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by bassbassbassyy | 2009-08-12 01:33 | 音楽
2009年 08月 06日

ブラームスはお好きですか?(2)

”情緒的で甘美”、良いではないか。そう聴こえるのだから、そう演奏すれば良い。これも一つの意見ですね。冒頭の「シ~ソ」にうっすらとポルタメントを入れてみたりしてね。ちょっとゆっくり入ると言うのもありますな。シを少し長くたっぷりとして息を合わせるとかね。色々あります。016.gif

でも第1主題を覆ているのは、相当な緊張感ではないかと思うのです。最初から落下と跳躍の連続。しかも、第1楽章はソナタ形式だけど、第1主題は少しずつ形を変えて第2主題や展開部にも出て来る。第1楽章全編にこの第1主題が変奏されてちりばめられている。のみならず、全楽章、曲全体を暗示している、と言うのが私の見解です。譜面だけ見ていてもあまりわからないんだけれど、実際に演奏した時に、どこかでこの第1主題が鳴り続けている。これは間違いない印象なのですが、そう思ってスコアを精査すると、実際にそうなってる。賑やかな、第3楽章でさえ第1主題が隠されている。034.gif

この第1主題に、何かを差し挟む余地なんてないんじゃないかな。まあ、大雑把でちゃんとした言い方ではないけれど、この交響曲を大きな変奏曲にみたてると、冒頭からの8小節間は変奏曲のテーマと同じで、ここで変なことをすると後の重厚長大な(何しろ4楽章まであるのだ)変奏部分でテーマが想起されにくくなってしまう。かなり、観念的な言い方だけど、そう言うこと。そう思うのです。楽譜に書いてある以上の何かをして、敢えて、この曲の表裏に染込まれている第1主題との繋がりを薄めてしまう程の何かの効果と言うのはちょっと考えにくい。繋がりを解いて別の物を目指すと言うのなら話しは別だけれど、それでは音泉でこの曲をやる必要はないですからね。きちんと指揮者のいるところでやれば良い。だから、情緒的ではいけないのです。014.gif

さて、”情緒的で甘美”はいけない、と決めつけてしまうとかえって、茶々を入れたくなる。管楽器ですな。「dolce」と書いてある。ド~ルチェェェ、である。しかし、やりにくいドルチェですね。スラースタッカートにご丁寧に休符まで入っている。甘味料たっぷりのべとべとと甘ったるいドルチェではなさそうだけど、単純に機能的な後打ちでもない。池辺晋一郎さんが「ブラームスの音符たち」で指摘しているように、これはカノンですな。不完全なカノン。1小節1和音を優先する為に不完全に終わるカノン。しかし、大事なカノンです。ルネッサンス期に多くの技法が生み出されたカノンは、ブラームスの尊敬するバッハが傑作を沢山書いていますね。そのカノンの技法を冒頭に持って来た。しかも、和声の進行を優先する為に不完全に終わるカノンを、です。dolceはこのカノンを意識したものであることはまちがいありません。つまり、後追いの旋律ですね。後打ちではありません。です。管楽器の方(フルート、クラリネット、ファゴット)はこのことをちゃんと意識しておかないと、味気ないことになりますね。015.gif

そして、和声。カノンに優位する和声。これは主にヴィオラとチェロによって分散和音で示されますが1小節ごとの展開です。8小節間に8つの異なる和声。ただし、2番ホルンとコントラバスは4小節間ペダルです。後半は受け継いだ4番ホルンとバスが3度、4度、4度、4度と下がるので1回転半して主音の下属調になりますね。この大旅行を終えてすっかり元に戻ろうかと言うところで戻らない。バイオリンのCの音に導かれてもう一つ別の旅に出かけます。重々しく苦渋の旅ですね。これを、たったの8小節間でやってのける。しかも、表情は緊張しまくりのP(ピアノ)です。まあ、若干の抑揚はつくでしょうが、基本的には音量の変化はありません。009.gif

ヴァイオリンとコントラバスは何をする余裕もなく、ひたすら、緊張感を維持しなくてはなりませんね。ともかく緊張感を持続します。ヴィオラ、チェロはどうすべきか?第1は音程。1小節ごとにきちんと響きが変わって行かなければならない。アルペジオだから難しいですね。もう一つ、私なら、このオーケストレーションで有り勝ちな運びのギクシャクや緩慢が起こらないように「歌(dolce)」でカバーしますね。ヴィオラ、チェロの上向形分散和音ではヴィオラは喰って入って上で緩んでちょうど良い感じではないでしょうかね。どうだろう?006.gif

木管楽器も2拍目は気持喰う感じでちょうど良い。これが、如何にも喰ってる喰ってる、ってわかるようでは駄目なので、歌を用いいる訳です。しかも、歌っていることも感じさせないような歌でないと駄目です。001.gif

これらは相当に積極的なアプローチですよね。たった8小節だけですが、相当疲れる。神経使って、色々考えて、アンテナ張り巡らせて、とても大切なものを、何事もないように提示する。ただあるがままに。そうすることで、このテーマが後々様々に現れる中で、徐々に人の心に染込んでゆく。曲を聴いている人は、始めは「む!」くらいの感心だけど聴き進めて行くほどに、それぞれのイマジネーションが広がって、後から思うに「情緒的で甘美」な印象となる。このテーマは、最初から”情緒的で甘美”なのではなく、そんな仕掛けの結果として生じる訳です。そのためにも、”情緒的で甘美”な始まりをしてはいけないと思います。どうでしょう?041.gif
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by bassbassbassyy | 2009-08-06 22:16
2009年 08月 03日

ブラームスはお好きですか?

サガンをどうこう言おうと言うのではありません。あくまで、ブラームス
しかし、改めてこう訊かれると、「好きです」と答えてしまう。
みなさん、如何ですか?030.gif
何だかんだ言ってはいますが、私はブラームスが好きです。
「さよならをもう一度」(「ブラームスはお好きですか?」の映画化)ではブラームスの3番の第3楽章(例の奴)が効果的に使われて、まあ、なんちゅうか、人生の淋しさ、儚さが上手いこと表現されておりました。イングリッド・バーグマンは奇麗だし。人生の寂寥の部分に触れるところが良かったですな。ブラームスの音楽には全般にそんなところがある。心の琴線に触れる何か、ですな。
これを「ロマンチック」と言うのが大方の見方のようですね。
これから音泉で演奏する第4交響曲なんか最初から、キター!と言う感じですね。
念のため、ロマンチックという言葉の意味を調べてみると、「現実を離れ、情緒的で甘美なさま。また、そのような事柄を好むさま。空想的。「―な夢にひたる」」となっています。”情緒的で甘美なさま”にちょっと悲しい感じを付け足すと、冒頭の主題はまさにそうしたイメージと受け止められるのかも知れませんね。演奏でも、色々な録音がありますが、殆どどれを聴いても、このイメージと相違ない演奏です。"情緒的で甘美”です。016.gif

でも、少し考えると、この"情緒的で甘美”にはどうしようもない違和感が生じます。021.gif

ブラームスは間違いようもなくロマン派の作曲家ですから時代の潮流の中で「言葉的なもの」を音楽に織り込んでいたとしても、至極当たり前のことのようですが、本人はそういうことを望んでいなかったようです。ブラームスはベートーヴェンに憧れ、バッハを敬い、形式や様式を重んじていました。ご存知の標題音楽と絶対音楽の論争では絶対音楽作者の代表的存在として担がれていましたし、本人もそのことに異議を唱えてはいませんでした。一方の標題音楽の先鋒は可哀想なブルックナーが(ワーグナーの代理として)担がれていました。このことが”情緒的で甘美”という印象と馴染まなくさせています。
こういうときは、疑ってみる。
あの、第1主題は本当に”情緒的で甘美”で良いのか?
ブラームスにとって交響曲とは純粋に音楽的なものでした。言葉で表現出来るものならば詩にすれば良い。それで足りないのなら詩に音楽を付ければ良い、くらいの考えではなかったかと思われます。器楽曲作家のように見られ勝ちですが、民謡を採譜したり、詩に曲を付けることはブラームスにとって楽しみでもあり立派に創作の仕事の範疇だったようです。既にある言葉の作品に器楽を持ち込むことはしたのです。しかし、器楽曲には言葉を持ち込まなかった。どの器楽曲にも標題的なものはありません。頑に絶対音楽的であった訳です。音楽の元となるテキストは一切用いられていませんでした。となれば、もし、”情緒的で甘美”なイメージがそこにあるならば、それは「想念」として組み込まれたことになります。しかし、ブラームスの伝記を読んでもそのような記述は見られません。まあ、これについての見解の一つは調性から得られるのですが、それは別の機会にお話ししましょう。
結論から言うと、楽曲そのものに"情緒的で甘美”なる物は織り込まれていない、と言うことです。ただ、この曲を聴いた人が、心に”情緒的で甘美”な某かのイメージを湧かせやすいということ、なのだと思います。
これは、演奏する場合にはとても重要なことだと思います。特に4番のような出だしをされると、演奏者にも"情緒的で甘美”な思いが沸き上がって演奏をそのようにしてしまいかねない。説得力のある演奏の一つとしてそのようなやり方をする「指揮者」は大勢いるだろうけれど、少なくとも音泉ではこれは出来ない。022.gif

ブラームスの4番の音泉の演奏では”情緒的で甘美”は根拠が見出せない限り考えないことにしたい、と言うのが現在の私の考えで、幸い、監督も同様なお考えからその方向で進まれるようです。
問題は、みんなでそのように出来るのか?と言うこと。長年親しんで来た、場合によってはそのように演奏したこともある”情緒的で甘美”なイメージを払拭出来るか、と言うこと。なにしろ冒頭から、だもんね。
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by bassbassbassyy | 2009-08-03 01:32