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2011年 09月 10日

音符考

斎藤秀雄さんが「子供のための音楽教室」時代にK.136の冒頭を子供達のオケに何回もやり直しさせた、というお話を折につけ小澤征爾さんが仰っておられることは、ご存知の方も多いと思う。

全音符と8分音符。

何しろ「恐い」斎藤先生が無言で何回もやり直しをさせる。
きっと、恐かっただろうな、と、思う。

でも、「恐い」先生が前におられると言うことは幸いである。
自ら気が付かねばならないことがあるから、言葉では言い尽くせぬ、伝わらぬ、意味が薄れる、ことがあるから、気が付くまで繰り返されるのである。

我々はわからぬまま、気が付かぬまま、通り過ぎる。
気付く人と気付かぬ人が出るから、なお悪い。

繰り返しになるが、モーツアルトとハイドンとベートーヴェンの全音符や8分音符の有り様は同じように弾けなくてはならないが、作曲者によって、その曲によって、その曲のどこかの部位によって、一つとして同じ意味にはならない。つまり、同じに弾いてはならない。

聴く人が異なった感触を持って聴けるように演奏することは、ほとんどテクニカルな問題であって、演奏者の単なる気の持ち様だけに置き換えることは大分端折っているところがあると言わざるを得ない。気の持ち様は当然あって、その上でテクニカルに弾き分ける必要がある。

そんなことが出来るのだろうか?

やる前から出来ぬと判じてしまえば、それで終わりである。
恐い先生がいるも、いないも同じになる。

それで良いのか。

そんな考えならば、私はどこに足を向けても寝ることが出来る。
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by bassbassbassyy | 2011-09-10 00:08 | 音楽