音泉室内合奏団の食卓

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2009年 08月 12日

ブラームスはお好きですか?(3)

前回、最初の8小節についてのみ、色々と書きましたが、こんな調子でずっと終わりまで続きます。意味と仕掛けだらけ。それでも1番よりは相当シンプルだと思います。でも、ブラームス自身はそのことを「複雑」とは考えていなかったようです。全体として大きな主張があり、それは起承転結をもって語られている。このことは他の作曲家とて同じで、特別なことではありませんね。あまりに普通です。普通過ぎる。
では、あんなにも沢山の仕掛けをして何を語っているのか?013.gif

まあ、この話題に入る前にブラームスの印象、またはブラームスの曲の印象について、
みなさんがどう感じているか伺ってみたくなりました
どの音符にも意味がある。仕掛けがある。そのことを知っている今、私自身は「感じ」よりも「考える」ことでブラームスを身近なものにしようとしています。
でも、そんな必要があるのか?聴いて感じたままに弾くことも大切なのではないか、とも思えます。
そんな訳で、今回は「感じた」ことを考えて見ました。027.gif

私の場合、ブラームスとの出会いは相当に不幸なものもありますが、同時に忘れ得ない思い出のものもあります。
最初は交響曲4番。この曲は作家のシュトルムとの出会いとほぼ同時期で、相乗効果的にロマンチックでした。まあ、思春期の頃でもありましたのでシュトゥルム・ウント・ドランクを地で行くような感じでしたね。色々ありましたなぁ(遠いい目)。048.gif
次は交響曲の2番。パート譜でした。オケでの体験は散々。でも曲の素晴らしさは感じました。
ほぼ同時に、ピアノ協奏曲2番とドイツ・レクイエムをラジオからエアチェック(古い)してます。この2曲も素晴らしいと感じました。これら4曲は大好きになり、聴きまくりましたね(レコードが白くなり、テープは伸びた)。
そして、暫くしてから交響曲の1番を聴きました。これはちょっとショックでした。
何も感じない。心に響くものがない。
ビックリしちゃった。本当に「なんだこれ?」。第9との関連も全然わからなかった(今でもわからない)。でも、4楽章の有名なアレグロ・ノン・トロッポの前、ホルンの美しい響きには感心しました。
その頃私のお気に入りには、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、シベリウス、ショスタコビッチ、等があり、感動することについても、感心することについてもブラームスの1番は物足りなさを感じました。
それから長いブランクがあり次の出会いは6重奏の1番です。遊びで2番チェロを弾いたのですが、この時は弾けてはいませんでしたが、音楽に感動しました。同じ時にメンデルスゾーンの8重奏もやったのですが、こちらは何とも思いませんでしたね。
ちなみに、この時のことチェロ男さんは覚えておられますか?秋なのにスキー場のゲレンデの中程にあるペンションに集まりましたよね。何やってんだか。041.gif

こんな経緯の中で、私のブラームス観は幼稚な知識と相まってちょっと妙なことになっていました。主にはメランコリックでリリカル。反作用で、狭量な喜び。理想として、心の平和と情熱。ブラームス自身狭量で頑固で意固地で古い人間(相当酷い人ですね)だろうと想像していた時期もあります。今から思うとこれは何だったのかなぁ。015.gif

そこで、ちょっと、じっくり考えて見ました。
これはズバリ「恋」ですね。016.gif016.gif016.gif
「愛」だの「恋」だの、あまりオヤヂの言うことではありませんが、でも、まあ、若い頃の話しなので「恋」です。
いや、他にも「郷愁」とか「哀惜」とか、どちらかと言えば斜陽系の言葉が色々と似合うのですが、ここは一つ、言い切ってしまいましょう。
これは「恋」です。

ちょっとなよっちいの012.gif
でも、案外外れていないかも。「ブラームスはお好きですか?」はフランス人的には、ちょっと大人で複雑な「愛」の話しですが、私からすれば、あれは大人の「恋」の儚さでもある。日本語で「愛」という言葉の広さと深みは感じられない。むしろ「儚さ」に重きがあって、そこには齢と人生が関わっている。「恋」という出来事を軸に「恋」の儚さよりも人生の重みや、もっと広い「愛」の世界への憧憬がある(本当にイングリッド・バーグマンは奇麗だ)。ここに引っ掛かる何かがブラームスに、ブラームスの産んだ旋律に感じ取れるのではないだろうか?
映画「さよならをもう一度」では原題を変えていながら象徴的にブラームスの音楽を使うことで、それをデフォルメしているのではないかな?
サガンは「ブラームス」の名前を引き合いに出して「儚さ」を演出しているのではないかな?とか考えて見たりして。037.gif

みなさんの「ブラームスとの出会い」募集します。
これを読んだ方は短くても良いから投稿してね。034.gif
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# by bassbassbassyy | 2009-08-12 01:33 | 音楽
2009年 08月 06日

ブラームスはお好きですか?(2)

”情緒的で甘美”、良いではないか。そう聴こえるのだから、そう演奏すれば良い。これも一つの意見ですね。冒頭の「シ~ソ」にうっすらとポルタメントを入れてみたりしてね。ちょっとゆっくり入ると言うのもありますな。シを少し長くたっぷりとして息を合わせるとかね。色々あります。016.gif

でも第1主題を覆ているのは、相当な緊張感ではないかと思うのです。最初から落下と跳躍の連続。しかも、第1楽章はソナタ形式だけど、第1主題は少しずつ形を変えて第2主題や展開部にも出て来る。第1楽章全編にこの第1主題が変奏されてちりばめられている。のみならず、全楽章、曲全体を暗示している、と言うのが私の見解です。譜面だけ見ていてもあまりわからないんだけれど、実際に演奏した時に、どこかでこの第1主題が鳴り続けている。これは間違いない印象なのですが、そう思ってスコアを精査すると、実際にそうなってる。賑やかな、第3楽章でさえ第1主題が隠されている。034.gif

この第1主題に、何かを差し挟む余地なんてないんじゃないかな。まあ、大雑把でちゃんとした言い方ではないけれど、この交響曲を大きな変奏曲にみたてると、冒頭からの8小節間は変奏曲のテーマと同じで、ここで変なことをすると後の重厚長大な(何しろ4楽章まであるのだ)変奏部分でテーマが想起されにくくなってしまう。かなり、観念的な言い方だけど、そう言うこと。そう思うのです。楽譜に書いてある以上の何かをして、敢えて、この曲の表裏に染込まれている第1主題との繋がりを薄めてしまう程の何かの効果と言うのはちょっと考えにくい。繋がりを解いて別の物を目指すと言うのなら話しは別だけれど、それでは音泉でこの曲をやる必要はないですからね。きちんと指揮者のいるところでやれば良い。だから、情緒的ではいけないのです。014.gif

さて、”情緒的で甘美”はいけない、と決めつけてしまうとかえって、茶々を入れたくなる。管楽器ですな。「dolce」と書いてある。ド~ルチェェェ、である。しかし、やりにくいドルチェですね。スラースタッカートにご丁寧に休符まで入っている。甘味料たっぷりのべとべとと甘ったるいドルチェではなさそうだけど、単純に機能的な後打ちでもない。池辺晋一郎さんが「ブラームスの音符たち」で指摘しているように、これはカノンですな。不完全なカノン。1小節1和音を優先する為に不完全に終わるカノン。しかし、大事なカノンです。ルネッサンス期に多くの技法が生み出されたカノンは、ブラームスの尊敬するバッハが傑作を沢山書いていますね。そのカノンの技法を冒頭に持って来た。しかも、和声の進行を優先する為に不完全に終わるカノンを、です。dolceはこのカノンを意識したものであることはまちがいありません。つまり、後追いの旋律ですね。後打ちではありません。です。管楽器の方(フルート、クラリネット、ファゴット)はこのことをちゃんと意識しておかないと、味気ないことになりますね。015.gif

そして、和声。カノンに優位する和声。これは主にヴィオラとチェロによって分散和音で示されますが1小節ごとの展開です。8小節間に8つの異なる和声。ただし、2番ホルンとコントラバスは4小節間ペダルです。後半は受け継いだ4番ホルンとバスが3度、4度、4度、4度と下がるので1回転半して主音の下属調になりますね。この大旅行を終えてすっかり元に戻ろうかと言うところで戻らない。バイオリンのCの音に導かれてもう一つ別の旅に出かけます。重々しく苦渋の旅ですね。これを、たったの8小節間でやってのける。しかも、表情は緊張しまくりのP(ピアノ)です。まあ、若干の抑揚はつくでしょうが、基本的には音量の変化はありません。009.gif

ヴァイオリンとコントラバスは何をする余裕もなく、ひたすら、緊張感を維持しなくてはなりませんね。ともかく緊張感を持続します。ヴィオラ、チェロはどうすべきか?第1は音程。1小節ごとにきちんと響きが変わって行かなければならない。アルペジオだから難しいですね。もう一つ、私なら、このオーケストレーションで有り勝ちな運びのギクシャクや緩慢が起こらないように「歌(dolce)」でカバーしますね。ヴィオラ、チェロの上向形分散和音ではヴィオラは喰って入って上で緩んでちょうど良い感じではないでしょうかね。どうだろう?006.gif

木管楽器も2拍目は気持喰う感じでちょうど良い。これが、如何にも喰ってる喰ってる、ってわかるようでは駄目なので、歌を用いいる訳です。しかも、歌っていることも感じさせないような歌でないと駄目です。001.gif

これらは相当に積極的なアプローチですよね。たった8小節だけですが、相当疲れる。神経使って、色々考えて、アンテナ張り巡らせて、とても大切なものを、何事もないように提示する。ただあるがままに。そうすることで、このテーマが後々様々に現れる中で、徐々に人の心に染込んでゆく。曲を聴いている人は、始めは「む!」くらいの感心だけど聴き進めて行くほどに、それぞれのイマジネーションが広がって、後から思うに「情緒的で甘美」な印象となる。このテーマは、最初から”情緒的で甘美”なのではなく、そんな仕掛けの結果として生じる訳です。そのためにも、”情緒的で甘美”な始まりをしてはいけないと思います。どうでしょう?041.gif
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# by bassbassbassyy | 2009-08-06 22:16
2009年 08月 03日

ブラームスはお好きですか?

サガンをどうこう言おうと言うのではありません。あくまで、ブラームス
しかし、改めてこう訊かれると、「好きです」と答えてしまう。
みなさん、如何ですか?030.gif
何だかんだ言ってはいますが、私はブラームスが好きです。
「さよならをもう一度」(「ブラームスはお好きですか?」の映画化)ではブラームスの3番の第3楽章(例の奴)が効果的に使われて、まあ、なんちゅうか、人生の淋しさ、儚さが上手いこと表現されておりました。イングリッド・バーグマンは奇麗だし。人生の寂寥の部分に触れるところが良かったですな。ブラームスの音楽には全般にそんなところがある。心の琴線に触れる何か、ですな。
これを「ロマンチック」と言うのが大方の見方のようですね。
これから音泉で演奏する第4交響曲なんか最初から、キター!と言う感じですね。
念のため、ロマンチックという言葉の意味を調べてみると、「現実を離れ、情緒的で甘美なさま。また、そのような事柄を好むさま。空想的。「―な夢にひたる」」となっています。”情緒的で甘美なさま”にちょっと悲しい感じを付け足すと、冒頭の主題はまさにそうしたイメージと受け止められるのかも知れませんね。演奏でも、色々な録音がありますが、殆どどれを聴いても、このイメージと相違ない演奏です。"情緒的で甘美”です。016.gif

でも、少し考えると、この"情緒的で甘美”にはどうしようもない違和感が生じます。021.gif

ブラームスは間違いようもなくロマン派の作曲家ですから時代の潮流の中で「言葉的なもの」を音楽に織り込んでいたとしても、至極当たり前のことのようですが、本人はそういうことを望んでいなかったようです。ブラームスはベートーヴェンに憧れ、バッハを敬い、形式や様式を重んじていました。ご存知の標題音楽と絶対音楽の論争では絶対音楽作者の代表的存在として担がれていましたし、本人もそのことに異議を唱えてはいませんでした。一方の標題音楽の先鋒は可哀想なブルックナーが(ワーグナーの代理として)担がれていました。このことが”情緒的で甘美”という印象と馴染まなくさせています。
こういうときは、疑ってみる。
あの、第1主題は本当に”情緒的で甘美”で良いのか?
ブラームスにとって交響曲とは純粋に音楽的なものでした。言葉で表現出来るものならば詩にすれば良い。それで足りないのなら詩に音楽を付ければ良い、くらいの考えではなかったかと思われます。器楽曲作家のように見られ勝ちですが、民謡を採譜したり、詩に曲を付けることはブラームスにとって楽しみでもあり立派に創作の仕事の範疇だったようです。既にある言葉の作品に器楽を持ち込むことはしたのです。しかし、器楽曲には言葉を持ち込まなかった。どの器楽曲にも標題的なものはありません。頑に絶対音楽的であった訳です。音楽の元となるテキストは一切用いられていませんでした。となれば、もし、”情緒的で甘美”なイメージがそこにあるならば、それは「想念」として組み込まれたことになります。しかし、ブラームスの伝記を読んでもそのような記述は見られません。まあ、これについての見解の一つは調性から得られるのですが、それは別の機会にお話ししましょう。
結論から言うと、楽曲そのものに"情緒的で甘美”なる物は織り込まれていない、と言うことです。ただ、この曲を聴いた人が、心に”情緒的で甘美”な某かのイメージを湧かせやすいということ、なのだと思います。
これは、演奏する場合にはとても重要なことだと思います。特に4番のような出だしをされると、演奏者にも"情緒的で甘美”な思いが沸き上がって演奏をそのようにしてしまいかねない。説得力のある演奏の一つとしてそのようなやり方をする「指揮者」は大勢いるだろうけれど、少なくとも音泉ではこれは出来ない。022.gif

ブラームスの4番の音泉の演奏では”情緒的で甘美”は根拠が見出せない限り考えないことにしたい、と言うのが現在の私の考えで、幸い、監督も同様なお考えからその方向で進まれるようです。
問題は、みんなでそのように出来るのか?と言うこと。長年親しんで来た、場合によってはそのように演奏したこともある”情緒的で甘美”なイメージを払拭出来るか、と言うこと。なにしろ冒頭から、だもんね。
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# by bassbassbassyy | 2009-08-03 01:32
2009年 07月 18日

予習の意味

アナリーゼって、まあ、アナライズする訳なんだけれども、この間、監督と温泉に入っているときに面白い話しを聞きました。
少なくとも監督の学生時代は授業でアナリーゼはやらなかったとのこと。
本当!と、思わず叫ぶ程ビックリした。学校としてどう取り上げていたか良くわからないとのこと。
う〜む。021.gif

それから、改めてアナリーゼの意味を考えて見た。
その楽曲の背景にあるものを知ることは、演奏するに当たり、本当に役に立つのか?
特に、我々アマチュアにとってどれほどの意味をなすのか?013.gif

まあ、考えるまでもなく、色々と役に立つと思い当たることが沢山あるのであるが、しかし、色々と知ったからと言って、ここにある早くて弾けないパッセージが弾けるようになる訳ではない。音符はしっかり弾けるように練習しなければならないことは変わらない。
演奏に必要な情報は譜面に書いてある。
だから、譜面から最大限情報を引き出してそれを確実に音にすることを考えて方が、我々のような練習時間のすくないアマチュアには大切なのではないか、と、言うことも出来る。

でも、それで良いのか?
音を発しなければ音楽にはならないが、しかし、音を発していただけでは、今を生きる自分としてどうなのであろう?

音の羅列がある。音を出してみる。思うに、こんな抑揚があると美しいと感じる。そのようにしてみる。気持よかった。以上。001.gif
こうして、感覚に頼って演奏することも大事なときもある。
自分の感覚ってのは確かに大事なものなのだ。

しかし、自分の感覚に頼り切って果たして、みんなが良かったと思ってくれる演奏が出来るのだろうか?ここを考えなくてはならない。また、自分の感覚にしたって、その裏付けが欲しいはずだ。何故そうするのか?自分自身が納得出来ていなければ、思い切ってやれないではないか?

アナリーゼは、それをすれば必ず良い演奏が出来るというものではない。しかし、自信をもって演奏したいならば大切になるはずなのだ。逆に言うとアナリーゼのない演奏は思い切りが良くないか、独りよがりも是とする奔放さを宿した演奏になるのだ。

とは、言ったものの、アナリーゼの結果がいつも一つの結論を出すとは限らない。余計に迷いを生じさせることもあるだろう。それでも分析は必要なのだ。ここにある楽曲ときちんとお付き合いしたいのならば、何故そうなのか、をきちんと考えておかないと、なんか、失礼なような気がする。
014.gif

そんな訳で、そろそろブラームスについて語ろうではないか。
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# by bassbassbassyy | 2009-07-18 02:20 | 音楽
2009年 06月 30日

見た目、デフォルメしない、文章。

でかおさんの言う、フレーズの分解について、ストラヴィンスキーは間違いなくキュビズムの影響を受けていると、私は考えています。そんな話しは聞いたことも読んだこともないけれど。

だから、単なる分解ではなく一点透視図法のアンチテーゼとしての多点透視図法(こんな言葉あるのかな?)ですから、本人なりのルールを設けて、千切っては角度をかえて繋げているのだと思います。問題は、演奏する上でこれを知ってどうなる、と言う具合なのですが、リズムの問題もあるので合わせて考えてしまいましょう。

ストラヴィンスキー他ロシアの作曲家に限らず、騎馬、乗馬の関連は2拍子と3拍子の絡みが多いように思いますね。これは激しいタイプの舞踏に繋がって行きます。古くはタランテラのような。

ここにより強烈なアクセント(殆どガツンと言うような踏み込み)をデフォルメしてつけると、
例えばバーンスタインのウェストサイドにある「アメリカ」の様なリズムが産まれます。
これはタタタ、タタタ、タタ、タタ、タタ、(全部で12)で納まりが良いのです(映画のダンスも思い出すとわかり易いです)。

しかし、別のデフォルメをすると、例えばDave Brubeckの「Blue Rondo A La Turk」の様にすることが出来ます。
これはタタ、タタ、タタ、タタタ、(全部で9)で若干納まりが悪い。
でもこちらの方がクールを演出出来る。例え変拍子でも、単純なリズムの連続は、変な言い方ですがホルモン的なんですね。ところが納まりを悪くすると知としての緊張感が一気に高まる。納まりの悪さの調節が難しいですが。

一点透視図法の人物画でも景色でも、歴代の画家は様々な方法で物語を埋め込むことが出来ました。これは経験的な「知」のありようです。作る方にも、観る方にも同じ物語の素地があります。

しかし、キュビズムに見られる多点透視図法は画家の思惑が画面を支配していながら、その思惑は見る者の経験では計れない。物語は見えているのに(人物だったり、建物だったり、キュビズムは「もの」を捉えていますからね)。そこで、考える。
この「考える」という行為がピカソやブラックが絵を見に来た人に求めた行為だったとすると、ストラヴィンスキーも同じことを求めているのではないかと思われます。これを生理的に高めるのがリズムです。先に述べた通り2拍子と3拍子の絡みは、元来的には野生に根ざしますが、変拍子を備えることで知的緊張を一気に高めてしまう。
聴く方は「これは何だ?」と考えますよ。
もちろん、答えはわかりません。それはあんまり問題ではない。
高度に知的な手法で「これは何だ?」に誘い込むことが大事なんです。

演奏する人間はストラヴィンスキーに協力して、キュビズムの作品を書いているようなものです。そこには演奏者の「物語」はあまり求められていません。寸断した寸法を正しく把握し、正しい角度で再現しなければならない。
でも、これだけでは音楽にならないこともストラビンスキーは良く知っていたようです。
一つは形式。ソナタ形式ですね。
もう一つはアンサンブル。人の息吹を感じさせる空間の演出を忘れていない。これは形式と密接な関係がありますね。
この二つがなければ「これは何だ?」と考えさせる余地を与えないのと同じですからね。
だから、演奏者はいつにも増して、「感じたように」やることは出来ません。アンサンブルや踏襲されて来た形式はあるけれど、単にそれを足がかりに感情の赴くままに演奏しては、分断したフレーズを正しくはめ込むことが出来なくなってしまう。小海のようにね。
聴く人を感心させ、感動させ、さらに、考えさせなければならない。
変拍子にするしないに関わらず、2楽章、3楽章も同じですね。

私は、こんな風に考えていますが、みなさんはどう思います?
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# by bassbassbassyy | 2009-06-30 03:51 | 音楽
2009年 06月 26日

バーゼル!

社長! 実はその事(前の投稿のコメント)を、うえのはらさんとメールでやり取りしたんですよ。リズムは監督の言う通り 「ジャズ」 を意識しなければならないんだけれども、まずは テンポ だって。

無意識にしろ、意識的にしろ、何かしたとたんに(それが恣意的に正しいテンポを示そうという行為であっても)、テンポはぶれるばかりで、全体としては駄目になっちゃう。007.gif

これまで音泉でやっていたような曲は演奏者の都合に多少の融通が利いた。けれど、バーゼルは社長の言う通り、それが出来ない。ジャストではめるテンポ感がまず、在りき、なんだ、って。

だから、前夜の壁打で社長が苦労しているのを見て、その事が指摘できれば、もしかしたら違ったことになったかも知れない。それが悔やまれます。021.gif
苦労している社長を見ながら、それが何に由来しているのかを、きちんと考えなかったんですよ。見ていながら、見えていない好例ですね。
私はリズムに気を取られてばかりいて、譜面通り音を打てれば出来た気になっていた。本番では、しょっぱなから間違えたりしたからそれすら危うくなっていて、「はめていく」ことを考えてしまった。もう駄目ですね。はめて行こうとしたときは既に、
 はめるテンポ感 が失われていた訳です。

でも、 音泉らしさ と言う事で言えば、私は小海のバーゼルも音泉らしいと考えています。追いつ追われつで曲自体は本質的な部分を失ってしまったけれど、そこに必死で食らいついていく様子は、如何にも音泉らしい。ある意味、テンポ感よりもさらに大事な物はちゃんと出ていた。これまでの音泉の弦と比べても、相当な進歩だと思っています。
それは、 「向かって行く」 と言う事です。隠れない。
実際に、音を霞ませたり、弓をコンマ5ミリ(?)浮かしたり、するのは別にかまわないんです。みんなでガシガシ弾いたらうるさいし。
しかし、気持は、最初っから最後まで弾き倒す でないと駄目ですよ。弾けないから隠れよう、と言うのは本当は駄目ですね。隠れる必要があるから隠れる、でなきゃ。
小海のバーゼルは「向かって行った」と思います。あんなに難しくてわけがわからない曲なのに、相当、果敢に、しかも無謀に、立ち向かったじゃないですか。
無謀 と言うところが如何にも音泉らしい。006.gif
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# by bassbassbassyy | 2009-06-26 10:38 | 音楽
2009年 06月 19日

明日は小海!

、タイトルに入れようとして、「明日は我が身」と言う言葉が浮かんでしまった。
誰の、何のことを暗示しているのだろうか?
「明日は我が身」は災難や災厄に対して常に備えるべし、とのことではあるが、色々と転用、というか変用されている。
音泉でも、何処かの誰かは、イゴールを何かの災厄と考えている節がある。

けしからん話しである。

とは、言え、その何処かの誰かと朝から練習したら、
充分ではないが、 「なかなかよく練習したではないか」 と、思うくらいにはさらってあるようだった。
ここまできた努力を思えば、歯を喰い縛ってでもやり通すのが、男と言うものだ。
男であることに期待しよう017.gif

などと、偉そうなことを言っていると、罰が当たる。
ので、謙虚になって練習をしようではないか。
明日は小海、とは言え、今日もまだ9時間も残っている。
でも、楽器を触る時間はないな。
楽器を持てなくても、譜面を見たり、デモを聴いたり。果たして効果があるのかわからないが、そんなちょっとした努力でも、積み重ねていると、少なくとも「歯を喰い縛る」気持には繋がるだろう。

諦めては駄目なんだよね。
(なんか熱血だぁ031.gif
いや、そもそもこんな話しを書くつもりではなかったのだが、まあ、いいか。
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# by bassbassbassyy | 2009-06-19 15:07 | 音楽
2009年 06月 18日

楽しむ演奏の楽しみ

バーゼルで すっかり やる気をなくしている人は、我が団の中にどれくらいいるだろうか?まあ、無理からぬところもある。何しろブラームスは「新しい音楽」くらいの生活をしてしまうとストラヴィンスキーは、まあ「未来の音楽」なんて感じになっているのだろう。

でも、スコアーをよくよく読んでみればわかるのだが、そんなに変なことはしていない。大体、ハイドンの頃に使っていた記譜法と殆ど変わらない。拍は変わることはあっても、なくなる訳じゃないし、調性だってとてもしっかりしている。「新古典主義」を名乗るだけのことはある。
トラッディーなのだ。

そして、 楽しい 。041.gif

楽しい、と言えば、今日、子供の小学校の「◯○音楽会」に行って来た。全校挙げての音楽会である。大きなホールでやるのだ。なかなか面白いことをしてくれる。

a0126211_013388.jpg

こんな感じの器楽演奏もあって、なかなか楽しい。

そう、
楽しい
のである。

これは、どう言うことか?

ただの 親バカ 、と言っては面白くない。
それを証拠に、自分の子供が出ていなくとも、楽しい、のだ。
相当に、ぎゃんぎゃんしてて、音痴で、グチャグチャなのだが、ステージの子供たちが楽しんでやっているのが、ちゃんと伝わるのだ。

子供の頃を思い出した。ヴァイオリン教室の「おさらい会」「発表会」ではなくて学校の合唱祭などである。
必ず、音楽嫌いのクラスメートが何人かいて、ふざけて、なかなかまじめに歌わなかったりする。
帰りの会とかで、「今日の歌の練習の時、◯○君はふざけてて歌ってませんでした。良くないと思います」とか言われちゃうのが、何人かいませんでしたか?

面白いのは、練習を重ねるうちに、そう言う子供も歌の楽しさに目覚めちゃったり、少なくともふざけたりしなくなって陰が薄くなったりして、全体で楽しくなっちゃったりする。こうなると、俄然面白くてみんなで大声で歌っちゃったりして、いい気分になったりしませんでしたか?

また、たまに悪ガキみたいのがいつまでも、幅を利かせていたり、先生がいつまでもその子にかまけてたりすると、全体に何となく面白くない雰囲気が蔓延しちゃって、妙に声の聴こえないクラスがあったりして、ってことありませんでしたか?

楽しい、てのはどうもそう言う具合に広がったり、狭まったりしている。

我々は充分大人だけれども、もしかして同じなんじゃないだろうか?
今までの演奏を振返って見ても、そうだ。
歯を喰い縛って、アンテナ張り巡らしてい楽器弾いているとき、頭の何処かは、それを喜んで、興奮していたのではないか?少なくとも私は「面白くない」と思って弾いたことはないような気がする。
では、どうすれば楽しくなるのだろう。
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# by bassbassbassyy | 2009-06-18 00:53 | 音楽
2009年 06月 16日

バーゼルを弾く方法

楽譜とメトロノームと3対睨めっこの続く日々。
辛く、悲しい、日々であった。

あった、と書くからには過去のことである。

そう!
ついに、というか、殆ど無法化状態ながら、弾くことに関しては、克服してしまった。
ふふふ。

そんなに難しい話しではないのだが、要するに、全部4分音符に置き換えちゃう。011.gif
断っておくが、当然、音楽監督には内緒である。
「そんなの 駄目!」って言うに決まってるから。

であるから、ここから先は内緒話なのである。028.gif


全部と言っても、優しいところは8分の6でも8分の9でもそのままでかまわない。
ベースのように休符の中に弾く音がポンポンと入っているようなとこでの話しである。

例えば42から。
ヴァイオリンの人には無理だが(この間、デカオさんはやってたけど)8分の6は3拍子にしてしまう。4分音符で割り切れるところの音はアクセントをつける。
これだけ。
これだけで、弾けちゃう。

何を今まで悩んでいたのだろう?と、言うくらい簡単に弾けちゃう。


ヴァイオリンを中心に考えると、これは出来ません。ヴァイオリンは変拍子の必要性が明確ですね。これ、4分音符で書いたら、弾けなくなっちゃう。と言うか、書くのがとても面倒ですな。

あとは、実際にやりながら、4分音符を8分の6に組み込んで勘定すればよろしい。
もっとも、これが長続きしないのだが。015.gif
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# by bassbassbassyy | 2009-06-16 14:46 | 音楽
2009年 06月 14日

らしくない こと

ブログを開設して、まだ間もないながら、少しずつ反響が寄せられてきています。
そのなかで 「らしくない」
 という、ご意見を頂きました。
まあ、私の「らしい、らしくない」ということなのでしょうが、それはともかく、
音泉として「らしい、らしくない」となれば

これはどう言うことか?>

実は、音楽を演奏することと、演奏する団体を運営していくことと関係があるのではないかと考えています。030.gif

みんなで何かを行う時に一人一人に求められるのが 「役割」 ですね。そして、この役割には 「演じる」 ということがどうしても含まれています。何故なら負わねばならない役割は必ずしも、その人そのものの「個」と合致する訳ではないからです。合わないところは「演じる」ことで埋め合わせねばならない。
でも、「演じる」ことは、大概の場合「らしくない」ですよね。

とても明晰で器用な人はその役割を果たす上でもっとも自分らしくことを進めることが出来ます。でも、如何に明晰で器用であっても、やはり「演じる」部分は出来てしまうでしょう。
また、どんなに一生懸命、その役割を果たそうとしても、この「演じる」部分が本人の本来のものとひどく乖離してしまうと 破綻 します。ポカ、とかドジ、とかを合理的に説明する一つの方法です。

では、音楽を演奏することと、この役割の関係は 如何に?

やはり、関係はあると思います。その人に向いていない楽器と言う物はどうしてもあるし、あるにもかかわらず、合わない楽器を一生懸命練習している方に出会うことはあるように思います。また、一つの曲の中で、作曲家が求めるその楽器の役割と、元来その楽器の持つ持ち味が合わないと言うことが稀にある、以上に、その楽器に求められる役割と演奏者の本来の物が合わないこともあるでしょう。
演奏家が求める完成形の為には、合致しない事柄を排除することもあるでしょう。

音泉は、その他のアマチュアバンドにおいても多分そうですが、そう言うことはしない。一つのパートに人が複数いる中で役割分担する際には、実はその作業をしていることもありますが、例えば指揮者やトレーナーが、「そのソロは別の人にやってもらいましょう」と言うようなことは音泉ではありません。

これは、完成形を重視しないのではなく、演奏する努力を重視するからです。
演奏しようとする意欲 を重視しているからにほかなりません。逆に、これがなかったり、意欲に含まれるべきものが軽薄であれば、監督は容赦しないでしょう。私もそれで良いと思っています。
気持がちゃんとしていれば、結果、ポカしたりドジったりがあっても気にしません。

ん、少しは気にはなるかも(自分は棚上げ)037.gif

運営の様々な煩雑事は、多分、どんなに適材適所として役割配分しても、そんなに効率良く、トラブルなく進むことは期待出来ません。適材適所に出来るだけの「手」はとてもありません。さらに、皆さんは社会生活を送る上で充分に役割を演じているから、音泉においてまでそれを充分に果たせと言うのは酷だと思います。また、演じることから逃れる為に、真に打ち込める音楽をやりに音泉で演奏しているわけでもあります。だから、なるべく負担は軽い方が良い。
でも、子供っぽい屁理屈で為さねばならない事柄を忌避する方は音泉にいらっしゃる必要ありません。仕事をなさらないから、と言うのではなく(正当な理由はいくらでもあります)、そう言う方に意欲のある演奏を期待するのが難しいからです。

音泉は大きくなって、こなさなければならない煩雑なことが沢山あります。
「らしい」の中に「らしくない」は含まれている。そう考えなければ、上手く行かないとも言えるかもしれませんが、本質的な言い方をすると、
 こうしたい と思ったことをやり通す為にすべきことは、らしい、らしくないに関係なく すべきことはする という当たり前のことではないかと、思ったりするのです。
どうでしょう?
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# by bassbassbassyy | 2009-06-14 16:07 | 運営