音泉室内合奏団の食卓

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2009年 06月 14日

らしくない こと

ブログを開設して、まだ間もないながら、少しずつ反響が寄せられてきています。
そのなかで 「らしくない」
 という、ご意見を頂きました。
まあ、私の「らしい、らしくない」ということなのでしょうが、それはともかく、
音泉として「らしい、らしくない」となれば

これはどう言うことか?>

実は、音楽を演奏することと、演奏する団体を運営していくことと関係があるのではないかと考えています。030.gif

みんなで何かを行う時に一人一人に求められるのが 「役割」 ですね。そして、この役割には 「演じる」 ということがどうしても含まれています。何故なら負わねばならない役割は必ずしも、その人そのものの「個」と合致する訳ではないからです。合わないところは「演じる」ことで埋め合わせねばならない。
でも、「演じる」ことは、大概の場合「らしくない」ですよね。

とても明晰で器用な人はその役割を果たす上でもっとも自分らしくことを進めることが出来ます。でも、如何に明晰で器用であっても、やはり「演じる」部分は出来てしまうでしょう。
また、どんなに一生懸命、その役割を果たそうとしても、この「演じる」部分が本人の本来のものとひどく乖離してしまうと 破綻 します。ポカ、とかドジ、とかを合理的に説明する一つの方法です。

では、音楽を演奏することと、この役割の関係は 如何に?

やはり、関係はあると思います。その人に向いていない楽器と言う物はどうしてもあるし、あるにもかかわらず、合わない楽器を一生懸命練習している方に出会うことはあるように思います。また、一つの曲の中で、作曲家が求めるその楽器の役割と、元来その楽器の持つ持ち味が合わないと言うことが稀にある、以上に、その楽器に求められる役割と演奏者の本来の物が合わないこともあるでしょう。
演奏家が求める完成形の為には、合致しない事柄を排除することもあるでしょう。

音泉は、その他のアマチュアバンドにおいても多分そうですが、そう言うことはしない。一つのパートに人が複数いる中で役割分担する際には、実はその作業をしていることもありますが、例えば指揮者やトレーナーが、「そのソロは別の人にやってもらいましょう」と言うようなことは音泉ではありません。

これは、完成形を重視しないのではなく、演奏する努力を重視するからです。
演奏しようとする意欲 を重視しているからにほかなりません。逆に、これがなかったり、意欲に含まれるべきものが軽薄であれば、監督は容赦しないでしょう。私もそれで良いと思っています。
気持がちゃんとしていれば、結果、ポカしたりドジったりがあっても気にしません。

ん、少しは気にはなるかも(自分は棚上げ)037.gif

運営の様々な煩雑事は、多分、どんなに適材適所として役割配分しても、そんなに効率良く、トラブルなく進むことは期待出来ません。適材適所に出来るだけの「手」はとてもありません。さらに、皆さんは社会生活を送る上で充分に役割を演じているから、音泉においてまでそれを充分に果たせと言うのは酷だと思います。また、演じることから逃れる為に、真に打ち込める音楽をやりに音泉で演奏しているわけでもあります。だから、なるべく負担は軽い方が良い。
でも、子供っぽい屁理屈で為さねばならない事柄を忌避する方は音泉にいらっしゃる必要ありません。仕事をなさらないから、と言うのではなく(正当な理由はいくらでもあります)、そう言う方に意欲のある演奏を期待するのが難しいからです。

音泉は大きくなって、こなさなければならない煩雑なことが沢山あります。
「らしい」の中に「らしくない」は含まれている。そう考えなければ、上手く行かないとも言えるかもしれませんが、本質的な言い方をすると、
 こうしたい と思ったことをやり通す為にすべきことは、らしい、らしくないに関係なく すべきことはする という当たり前のことではないかと、思ったりするのです。
どうでしょう?
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by bassbassbassyy | 2009-06-14 16:07 | 運営