音泉室内合奏団の食卓

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2009年 10月 16日

唐突ですが、SNSでの話しを受けて   音泉で「革命」を取り上げようとするわけ

前もって言っておきますが、字ばっかです。
事務局長は覚悟して読むように。

 実は、こう言う問題提起を待っていました。
 はいそうですか、とあっさり受け入れるには難儀この上ない選曲ですからねぇ。反対意見が出ないのが却って心配でもありました。
 私は、団の運営を考える上で、この選曲は全く厄介なことであるなぁ、と今でも思っています。しかしながら、音泉としての音楽へのアプローチを考えると、艱難辛苦はあろうとも良い試みではないかとも考えています。選び取ると言う意味においては私には確信はありません。しかし、別の意味では、これで良いと考えていますし、覚悟も出来ています。

 そんな訳で、これから書くことは、この曲を想起する理由ではなくて、この選曲を受け入れる理由です。従って音楽監督がこの曲を選ばれたお考えとも異なるかも知れませんし、チェロ弾き男さんの意見に対する反論にはならないかも知れません。あしからず。
私が、この選曲を伺った際に、考えた順にお話します。

①音泉はそもそもアンサンブルを目的とした合奏団です。アンサンブルで出来る曲ならば何でも演奏の可能性はある、と言うのが基本的な姿勢です。その意味でドヴォルザークのチェロコンチェルトは限界への挑戦、に近い発想がありました。アンサンブルで出来るかという点に関して、音楽監督は「革命」はアンサンブルで出来るとはっきり言っていますので、演奏の可能性からは除外する理由はありません。この点で言えばむしろチェロコンチェルトの方が除外対象に近いのではないかと思っています。

②編成の問題ですが、現状の音泉の活動範囲から言うと、演奏可能な編成の範囲です。
楽器集め、人集めには尋常ならざる努力が必用ですが、幸い、メンバーの協力が得られれば必要楽器、人数は集められそうです。しかし、皆さんの協力が得られなければ無理です。
これについては、これまでのやり方を改めることを検討していますので、おいおい、お話しますね。また、経営的な面においても、これに堪え得る計画を立てるための試みを実施中です。その結果に応じて現実的な算段は出来ると思います。

③音泉で取り上げる曲目について以前よりみなさんに広く伺っておりましたが、具体的に私の元に伝えられた曲目は僅かでした。ただ、僅かながら演奏に取り上げるに非常に意味のある曲目だったので、これを取り上げる手順について熟考しているところでした。直ぐにやるよりも、何かを成し遂げた後でやる方が良い演奏に繋がると考えていたからです。そのとき、この選曲を伺いました。リクエストのあった曲に至るには「革命」は非常に良い題材であり、これまで音泉で取り上げた数々の演奏曲目の線上にはまるものと考えられました。「革命」とその後、幾つかの段階を経た上でそのリクエストにお答えできれば、今、取り上げるよりもより良い、意味深い演奏が出来る、と考えています。

④「その後の音泉」を考える上で「革命」は良い区切りとなると思われました。「その後の音泉」とは、以前の小編成のアンサンブルと言うことです。このことは既に皆さんにお伝えしているところです。しかし「革命」後、直ぐに小さくなれるわけではありません。音泉のコンセプトをもう一度明確にした上で、これまでご協力頂いたメンバーの皆さんに納得いただける形に持っていかなくてはならないと考えています。また、小さくすると言っても音泉で実現しようとしている試みには少なからぬ人員が必要ですし、全てのメンバーがいつでも音泉のために時間を作ってくれるわけではありません。これらを合わせて考察すると少なくとも2管編成分のメンバー表が埋まるくらいの方々が、音泉のメンバーでいて頂かなくてはなりません。私の考えでは、それは「革命」を演奏する人数にほぼ合致します。

⑤人の縁とは、そう簡単に価値付け、評価できるものではありませんが、それでも、誰しもが「このご縁は大切にしなければ」と思うことがあります。音泉を10年間続けてきて色々な方との出会いがあり、親交がありました。どれも貴重なものですが、今この時にそれを深めておかなければ後悔することになるご縁もあります。これは私個人の問題としてではなく、メンバー全員にとって貴重であるかどうかを計るわけですから、そう簡単には言えない事ですが、とても幸いなことに、比較的簡単に、誰もが同じように貴重に思えるご縁に音泉は恵まれました。このご縁を活かし、深めるための選曲という考え方もあると、私は考えています。

⑥「革命」でなければならない、という理由を私自身は明確に見出しているわけではありません。しかしながら「革命」ではいけないという理由は、はっきりと見出すことが出来ません。それならば「チェロコンチェルト」も「運命」も「ジュピター」も何らかの否定的な範疇に入ってしまうでしょう。例えばシューマンの交響曲1番や3番なら、私は明確に出来ないと言うことが出来ます。リストの殆どのオーケストラ曲もベルリオーズもワーグナーの序曲全ても、ドビッシーやラベル、ファリャ。出来ないと言い切れる曲はまだまだ沢山ありますが、「革命」は①②の条件を満たしているならば、出来ないと言える理由が見出せないのです。

 以前「ジュピター」を取り上げたとき、実は私はその選曲に懐疑的でした。良く知られた名曲であり、難曲でもあります。各パート譜に書かれていることは比較的単純で、この曲を難曲たらしめているのは、むしろ音符の隙間にあります。皆さんがこの曲を3回舞台に乗せ、その度にしっかりと練習することに飽きてしまうのではないか、音泉らしい「ジュピター」は出来ないのではないか、我々としての完成度に比べ聴衆の耳が既成の「ジュピター」に慣れすぎているのでは、等と色々懸念しました。これらの懸念が的外れであったことはそれぞれの演奏会で証明済みですが、同時に、あんなに良い演奏が出来たのに、ある種の未熟さも露呈したと思います。
 音楽には、否が応でも立ち向かわねばならない試練が付きまといますが、出来る出来ないに拘わらず、これとしっかり対峙する姿勢が音泉には薄れつつあったと思います。しかも「ジュピター」で露呈した未熟さは我々でも充分に乗り越えられるものでした。これを端的に指摘したのは亡くなられた平世さんです。
 「革命」には音泉に必用な姿勢を求める素地があります。比較的に解りやすく、技術的には困難でも、感覚的には「バーゼル」に比べれば少し楽かも知れません。しかも、弦と管との絡みの中で実現します。ステップとして捉えても妥当と言えます。

 それから、何より大事なのは、やってみると案外、楽しいかも知れないということです。
ショスタコヴィッチの楽曲はとても多いので全てを知る訳ではないのですが、同年代のその他の作曲家と比べると良く耳にしてきた方ではないかと思います。でも、今この曲に対峙した時、少なくとも自分は何も知らないことを認めざるを得ない。それを解き明かして行く楽しみがあります。テクニカルな苦労ならベートーヴェンの4番や9番も同じではないでしょうか?「革命」の2楽章はきっと楽しく弾けると思いますよ。

 音泉は趣味の集いですから、楽しくあるべきだと私も考えています。その楽しさを追求するにはどうしても苦しいところも背負わねばなりません。音楽をまじめに楽しむ、と言うことは、何も苦しい練習を沢山してプロのように楽器を扱えねば駄目だ、と言うことではありません。苦しいところも全部含めてしっかりと向き合い、各人なりの方法でこれにアプローチすることが、音楽を楽しむことだと思います。その各人が集まっての音泉です。苦しみをも共有するからこそ楽しみもあるのではないかと思います。

 音楽を広義に捕らえて人間活動の一環であり、社会性の一面であり、歴史である(つまりは文化ですな)とすると、アマチュアの演奏とは常に何某かの責任放棄を伴っています。作曲家に対し、楽曲に対し、聴衆に対し、人生を賭して音楽に掛けている演奏家に対し、社会に対し、歴史に対し、そして自分自身に対し。私は必ずしも皆さんに同意を求めるものではありませんが、出来ればそれを、我々は我々なりに音楽に対峙している、と言うことで少しは補いたいと思っていますし、その思いは共有したい。ですから、音泉の運営においても常にそういう側面を意識しています。ある楽曲を演奏するからには最低限、何々だけは皆で分かち合えるくらいにならないと意味がない、と言う目標設定をしています。そして、それは連綿と続いている。メインと言われる曲も、アンコールも、デュエットも、40人からの交響曲もです。全部が連綿と繋がる中で、一つ一つの音楽に託されているものを少しでも大切にしていきたい。大切さを増したい。この思いと、監督の選曲のあり方は今のところ一致していると思います。
 
 選曲の手順は、皆さんからのリクエストに基づいて監督と私が相談して決めています。相談とは言っても、選曲は音楽監督の先権事項です。監督が気遣って相談してくれている、というところですね。反面、監督の決めたことを代表としての私が否定するとなれば、これは音楽監督の任免事項に繋がります。取り上げる楽曲に反対したからと言って、音楽監督を辞めてください、とは決して言いませんが、音楽監督からすれば同じことです。監督も相当な覚悟で選曲に臨んでいる。これを大した理由もなく駄目出しすれば、不信任と取られても仕方ないでしょう。皆さんには全く見えないところでの話ですが、音泉が民主的な運営手法をとらない以上、私も監督もそれなりの緊張関係を保ちつつ運営にあたっています。いくら明確な規則はないと言っても一つの楽団である以上、歴史的な踏襲による一定の不文律は守らねばならないと言うのが私の持論です。そうした中で、今のところ音楽監督は充分に信用出来る選曲をしていると、私は自信を持って皆さんにお伝えすることが出来ます。

以上、6項目が音泉で「革命」を取り上げる訳で、付随する事柄を少々付け加えました。言葉足らずで意味不明、理解不能、もしくは、このような考え方に対する反論、意見、何でも仰っていただけると嬉しいです。一人で考える事には限度がある。みんなで考えて参りましょう。

選曲に対する意見を始めに述べて頂いたチェロ弾き男さんには、良い機会を作っていただいたと思います。ありがとうございました。叶うならば、チェロ弾き男さんに続くコメントがあればと思ったのですが、ちょっと、言いにくいことでもあるかも知れませんね。でも、言いにくいなんてことはまるでありませんので、余計に気遣わずどんどんコメントして下さい。
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by bassbassbassyy | 2009-10-16 00:36