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音泉室内合奏団の食卓

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2010年 09月 16日

そろそろ、ショスタコーヴィッチの話しをしよう。

でも、ゆっくりとしか出来ない。

そもそもボロボロだったミニチュアスコアーが引っ越しのどさくさで、何処かに入り込んでしまったのを機に、近所にあるヤマハで全音のミニチュアスコアーを買ったら、記憶にない解説がついていた。以前持っていたのは音友だったらしい。
まあ、それはともかく、寺原信夫さんの書かれた解説で印象的なのは、誰もが語る当時のショスタコーヴィッチがおかれていた背景を綴った後に、「第5交響曲の特徴について」と題して、ショスタコーヴィッチ自身の話しや論文、また、トルストイの書いた記事を通して、楽天性や明るさを紹介していることである。作曲家:寺原信夫自身の言葉としてではなく、作曲家本人と当時のソヴィエト連邦を代表する芸術家である文豪の言葉を、当事者の証言として、それを裏付ける権威の証言として、紹介している。「大いなる精神的葛藤の悲劇的衝突を通じて、世界観としての楽天主義を主張したかったー」とショスタコーヴィッチが言っている。「ショスタコーヴィッチの明るい人生観は、ソビエトの聴衆に理解され受け入れられたー」とトルストイが言っている。解説を書いた寺原信夫さんは自分では何も言わない。
これは、解説なので必ずしも著者自身の考えを書かなくてはならないとうものではない。一般的に理解されているところの事柄を紹介するのは至極真っ当なことである。でも、「変」なのだ。

ショスタコーヴィッチが楽天的で社交的な人物で、ブラームスのようにいつも不機嫌で、ベートーヴェンのように誰彼かまわず怒鳴りちらしたり、シューマンのように自分の殻に閉じ篭ったりしなかったのは本当のことだと思う。サッカーが好きで子供が好きで、「証言」にあるようには、軽々に人を貶めるようなことは言わなかったはずだ、と言うのも本当だと思う。
でも、本人が言う「世界観としての楽天主義」の主張は信じられない。
多分、寺原信夫さんも信じられなかったのではないかと思う。

私は、素人で、専門的な知識を持たないので、あまり逡巡しない。
もし、本当に「世界観としての楽天主義」ならば4楽章はハ短調からハ長調にするだろう。1楽章もハ短調となるだろう。ニ短調は変だ。
こう感じてしまうのは私が調性に対してきちんとした知識と考察力を持っていないからかも知れないし、ショスタコーヴィッチの調性に対する考え方を知らないからかも知れない。
若しくは、ベートーヴェンの真似は出来ないと考えたのかも知れない。

でも、こう考えたらどうだろう?
「良心、または正義観としての楽天主義」
これだと、ニ長調と言うのは中々にすっきり収まる。

どうです?
みなさんは、寺原信夫さんの解説をどのようにお読みになりますか?

by bassbassbassyy | 2010-09-16 02:18 | 音楽


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